20歳の自分に出会う旅・その後

これから どうする(1)

公開日:2022.08.13

昨年(2021年)フォークジャンボリーが懐かしく、椛の湖を訪ねました。古いレコードを引っ張りだして、20歳の自分を思いだしました。これからの生きる道を考える参考にと思ったからです。気持ちの整理ができ、やっとその続きに取りかかりました。

これから  どうする(1)
これからの生き方を考える。蓮の花、咲いて実を結ぶ

迷い、戸惑う、思い出したくないこともある

誰にも思い出したくない、忘れたい事があると思います。【20歳の自分に出会う旅】では、楽しく青春を過ごしていましたが、その後は闇でした。私は、23歳から25歳までを封印していました。

急に涙する

急に涙する
満蒙開拓平和記念館・前

今年(2022年)初めのことです。

いつものようにラジオを聴きながら国道153号を車で移動していた時、突然涙が溢れて、止まらなくなってしまいました。ボロボロと涙をこぼしながら運転する私、おかしな光景です。対向車の視線が気になります。でも、止まらないのです。特別、悲しい出来事を考えていたのではありません。

♪涙も枯れはてて、もう二度と笑顔には、なれそうもないけど~……♪と、歌声を聞いた瞬間からでした。

私にも、まだ笑って話せない過去があります。でも、前へ進まなくちゃ!

前の事を忘れず、後の教訓にする

2か月後、私は思い切って長野県阿智村【満豪開拓(まんもうかいたく)平和記念館】(2013年開館)へ向かいました。ちゃんと向き合いたいと、考え始めていました

前の事を忘れず、後の教訓にする

前の事を忘れず、後の教訓にする
満蒙開拓平和記念館のリーフレットがら

リーフレットに『戦争に導かれて行く道筋を学び人々の体験に耳を傾け、平和な社会とは何かを皆さんで一緒に考えていきたいと思います』とあります。

満蒙開拓(まんもうかいたく)とは

満蒙開拓移民は、満州事変・昭和6年(1931)~敗戦の昭和20年(1945)の間、約27万人もの人が移住したそうです。希望者を募ったようでも、日本政府の国策でノルマがあったといいます。

国策で送り出しておきながら、ソ連軍が侵攻したら、開拓民を置き去りにしてきたのですね。ニュースなど注意していればわかります。隠しきない不都合な真実は必ず暴かれます。本当のことを知っている人がいるのですから。

満州で犠牲になった民間人の数は、東京大空襲・沖縄戦・原爆投下の広島を凌ぐそうです。

私たちは、つらい記憶や苦しい体験、本当の事を語ってくれた人たちに感謝し、後世に伝えなければならないのです。

満蒙開拓平和記念館
〒395-0303 長野県下伊那郡 阿智村 駒場711-10  
電話/FAX 0265-43-5580

満蒙開拓(まんもうかいたく)とは
満蒙開拓平和記念館・入館券

具体的な出来事を知ることができました。事実は消すことができません。つらい経験を語ってくださった事に感謝し、活かさなければなりません。それにしても、よくぞ帰ってきて下さいました。

真実・事実を知って欲しいと思います。誰も犠牲にならない、誰も犠牲にしないために戦争に巻き込まれないために

おいしい物を食べるのも良い、お気に入りのファッションで身を包むのも良い、生活を楽しみ、幸せならば。けれども、過去に何があったか、誰のために、何のために、誰を何を犠牲にしてきたのか、知って欲しい。これから先、夫や子供、孫を戦争で亡くさないために。知っている人は伝えて欲しい! 真実を。

どこかの国のように、過去の日本のように、総動員招集されたら……。そうならないためには、過去に何があったのか知ることが大切と思います。「国を守る」という言葉に騙されないために。

5枚の花弁のドクダミはラッキーの印とか

私の過去にどんな関係が?

満蒙開拓平和記念館についても書いていきたいと思います。

 

■もっと知りたい■

渡来夢

美しいものに触れたいとの思いから美術館に行ったり、植物を育てたり、きものリフォームなどの手芸を楽しんでいます。元気でいられるように、ピアノの練習やパンを焼くことにも挑戦しています。『やってみよう!』の精神で。日常こそ大切、工夫して、お金をかけずに楽しむこころ豊かな暮らしを目指しています。

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