広島雑遊

歴史を体感できる町・津和野へ

歴史を体感できる町・津和野へ

公開日:2025年01月23日

歴史を体感できる町・津和野へ
西周(にしあまね)と森鴎外

高速道路を走れば広島市から車で2時間ほど。島根県と山口県の県境辺りの山奥の盆地に位置する津和野は、幕末から昭和初期までの歴史を体感できる日本遺産の町です。

娘とセンチメンタルジャーニーで津和野へ

去年(2024年)の酷暑の夏に、津和野の鷺舞(さぎまい)をひとりで観に行きました。

記録的な暑さのせいで津和野歩きは控えましたが、今回(2024年暮れ)は、50余年前に家族旅行で訪れた津和野町の再訪です。

娘とセンチメンタルジャーニーで津和野へ
JR津和野駅 SLやまぐち号が新山口~津和野間を走ります(3月~11月の指定日)

津和野百景図

廃藩後、藩主であった亀井氏の命により、幕末の人々の暮らしや文化・自然を100枚の絵画と解説を元藩士が5年がかりでまとめて描いたのが「津和野百景図」です。

ここから「津和野今昔〜百景図を歩く」というキャッチフレーズが生まれたのでしょう。

「町並み・伝統行事・自然景観が時代の風潮に流されることなく、古き良き伝統文化の継承地」として「日本遺産」18件のうちの第1号と認定されたのが平成27年のことです。

今も残っている百景図の風景が日本人の心の琴線に触れるのでしょうか、眺めていると何かしら郷愁を覚え、心安らぎます。

津和野百景図
殿町通りの掘割(幅約2m)に錦鯉がいっぱい
上級武士の屋敷や藩校養老館が並んでいるので「殿町通り」と呼ばれているのだそうです
津和野百景図
昔、藩主のみが参詣できた太鼓谷(たいこだに)稲荷神社の千本鳥居

森鴎外の墓

家族旅行の時、森鴎外や西周(にしあまね)の生家を見学しました。

今回は新たに立派な森鴎外記念館が建てられていて、鴎外の生涯についてかなり詳しく知ることができました。

森鴎外の墓

永明寺(ようめいじ)は歴代の津和野藩主亀井氏の菩提寺ですが、そこに御典医家系の森一族のお墓群もあるというので訪ねました。深閑としたたたずまいの永明寺は島根県最古の禅寺です。

森鴎外の墓
軍医・文豪の名を記さず、生まれた時の名のみの鴎外の墓

高台の墓所のなかの一段と苔むした墓群の正面に「森林太郎の墓」がありました。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言状に従って造られたそうです。

深々とした墓所で晩年の鴎外の心情に思いを馳せつつ、境内を眺めました。

乙女峠

乙女峠
マリア聖堂

津和野山中にはキリシタン殉教の地があります。中学生の時に学校で習った記憶があります。百景図には含まれていませんが、乙女峠の「マリア聖堂」が長崎の「大浦天守堂」などとともにキリシタン受難の歴史を今に伝えています。

娘と二人のゆったりとした一泊の旅でしたが、娘だけが乙女峠に登り、私は登るのは諦めました。ぬれ落ち葉がいっぱいの雨降る坂道は、高齢の私にとって「行きはよいよい帰りはこわい」の急な坂道でしたので。

乙女峠

下から眺めると、登る坂道に差しかかるところに滝水が落ちる池があります。受難者にとって最も過酷だったといわれている真冬の裸での「氷責め」が思い起こされます。

殿町通りには立派なカトリックの教会があります。西洋文化の原点に触れたいという思いもあって、旅先で教会を見つけると、いつもちょっと覗いてみます。

乙女峠
殿町通りの津和野カトリック教会

驚いたことに内部は椅子ではなく畳敷きで、たくさんの人を収容できるようになっていました。乙女峠の「マリア聖堂」とともに、人間の残酷さと優しさ、強さを今に伝えてくれる教会です。

50余年ぶりに歩きまわった津和野の町は、昔のままのところも多く、時の流れを忘れさせてくれました。

■もっと知りたい■

とし古
とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

みんなのコメント
  1. とし古さん、津和野の旅、親子旅で素敵ですね。うらやましいです。津和野…昔、一人で歩きました。乙女峠のことは知りませんでした。やはりしっかり旅をするということは大切ですね。とし古さんの丁寧さが伝わりました。