大人の手帳術2:なりたい自分に近づく「TO BE思考」セルフチェック
2024.12.30「世界への挨拶」
1956年5月、「核と人類は共存できない」「人類は生きねばならぬ」という理念のもとに、広島県被団協(広島県原爆被害者団体協議会)が発足しました。
その時の森瀧市郎さん(1901-1994)のスピーチは、「世界への挨拶」として知られています。そして同年8月、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)へと発展結成されました。
その頃、私はまだ中学生でした。1954年の「第五福龍丸」の被爆事故についてのニュースが毎日ラジオから流れていたのを覚えています。
森瀧さんは、核実験のたびにそれに抗議して「原爆慰霊碑前の座り込み」を行いました。その回数は500回を超え、まさに「反核の父」だったのです。
雨の降るなかでも、お一人で座り込みをされている姿をテレビのニュースで拝見したことが何度かあります。
世界へのメッセージ
今回のノーベル賞授賞式での田中煕巳(てるみ)さんのスピーチは、まさしく「世界へのメッセージ」となりました。「被爆後10年間、孤独と病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けざるをえなかった」と田中さんは語りました。
私は、今、広島平和記念公園でボランティアガイドをしていますが、その研修期に班を同じくした5人は皆、被爆二世です。彼らの親御さんたちは被爆の話をしたがらなかったそうです。思い出すのも辛い悲惨な経験だったことが容易に推察できます。
その被爆者の平均年齢は85.58歳(2024年3月現在)だそうで、被爆伝承者は年々減少しており、いずれ誰もいなくなってしまうことを広島市は危惧しています。被爆二世や若い世代が伝承を継続していくことが期待されています。
『ヒロシマ・ノート』(大江健三郎著)にも、「広島の人間的悲惨を、アウシュビッツがそうであるように広く確実に周知徹底させる」という言葉があります。
被団協は被爆20年後の頃から原爆被災体験資料収集にも力を入れ始めたそうで、今回、ノルウェー・オスロのノーベル平和センターで展示するために13点の「原爆の絵」のデータが提供されたそうです。ノルウェーでは約1年間展示されるようです。
人間は忘れっぽいのよ
これは、被爆者の松原美代子さん(1932-2018)がしばしば口にしていた言葉だ、と彼女の生涯を語る「語り部さん」から聞きました。
松原さんは動員学徒として出向く途中で被爆し、顔や手などに大火傷を負い、数回ケロイド治療で植皮手術を受けたといいます。その後、世界中を歩いて被爆伝承を続けられたのです。
「人間は忘れっぽいから何度も言わなきゃ駄目なんよ」と、常々言っておられたとか。
私の夫は生前、大学で教鞭をとっていましたが、松原さんは大学の聴講生として夫の講義に出席されたこともあったようです。夫は帰宅して「今日聴講生として松原さんが来た。若い時はさぞかし大変だったろう」とポツリと言ったことが思い出されます。
これからどうする?
世界の核兵器保有数は1万2512発(2023年)と言われています。
そうした現実のなか、日本被団協のノーベル平和賞受賞は、被爆者やその伝承者にとっては本当にうれしい受賞でした。同時に、とても重い受賞です。
今回の受賞が核廃絶へ向けての「最後の追い風」となることを願ってやみません。
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