母と父との埋まらない距離…晩年に知った母の因果応報
2023.09.142024年11月22日
八十路の挑戦(6)
長崎平和記念公園を観た!
広島平和記念公園のボランティアガイドを始めて、もう半年が経ちました。ああすればよかった、こうすればよかった、とまだまだ反省しきりです。
長崎の鐘♪
広島市民と同じ哀しみを持つもうひとつの被爆地である長崎についても知りたい、とかねがね考えておりました。
九州の西北端に位置する長崎県は、地図を見ていると、中学校の教科書で見た記憶のある地名がたくさん出てきます。古くからの西洋諸国との交流で世界文化遺産が多く残っている地域です。
という具合に教科書的知識を思い起こしていると、連想ゲームのように、昭和歌謡「長崎の鐘」が耳の奥に流れてきます。
NHKの朝の連続テレビ小説『エール』でもそのエピソードが語られたあの美しくも切ない歌です。また一昨年観た映画『長崎の郵便配達』も記憶に新しいところです。
国連本部で初めて被爆者として山口仙二さんが「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と自らの被爆写真を掲げて訴えた姿をTVで何度も観たことも思い起こされます。
長崎は今日も雨だった♪
土地勘のない私は、長崎へのバスツアーを探しました。キャンセルのあった1泊2日のツアーにうまく入り込めたので、ラッキーと思ったのですが、当日、台風接近のため、長崎は大雨。
それでもバスは平和公園へ連れて行ってくれました。公園に着いた時、小雨になっていましたので足早に公園内を見学し、平和祈念像を生で拝見し、数々のモニュメントに触れることができました。
なかでも「平和の泉」に面したモニュメントに目が潤みました。
のどがかわいてたまりませんでした
水にあぶらのようなものが一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
10歳の少女が書いた文章だそうです。
広島の平和公園にも水を配したモニュメントがいくつかありますが、広島には当時7本の川が流れていました。
公園の両サイドの川はもちろん、川という川は「爆風で飛ばされた人、また熱気にたえられず自ら飛び込んで水死した人など」裸体同然の遺体で埋め尽くされたそうです。
そんな悲惨な8月7日の早朝の光景を伝える絵と文章が、広島原爆資料館に展示されています。
長崎は世界遺産の宝庫
日本の端にある長崎は諸外国への窓口のような存在で、明治日本の産業革命遺産、長崎天草地方の潜伏キリシタン関連遺産など、多くの世界遺産があります。
「蝶々夫人ゆかりの地」である旧グラバー邸を見学して蝶々夫人に「長崎の女(ひと)♪」を重ね、被爆者の苦しみとともに、大村天主堂では隠れキリシタンの苦難の道を深く知ることができました。
2日目は、雨のために、予定されていた軍艦島には行くことができませんでしたが、ハイテクノロジーを駆使した「軍艦島デジタルミュージアム」で「全身で軍艦島を体感」しました。
1泊2日のあわただしい旅程でしたが、長崎の歴史に触れ、いろいろと考えさせられる旅となりました。
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