地域アクティビティ

娘と年末に小旅行を楽しみました(後)

公開日:2023.01.20

地元の観光地は、いつでも行けると思ってもなかなか行けません。娘は高校を卒業して東京に出てしまいましたので、地元の観光地はとんとご無沙汰。そこで、ここ2・3年、娘と近場の小旅行を楽しんでいます。

生口島(いくちじま)の平山郁夫美術館へ

鞆の浦で一泊したあと、しまなみ海道を走って、向島(むかいじま)と因島(いんのしま)を通過して生口島に入りました。

まずは、生口島で生まれ育った平山画伯の「平山郁夫美術館」を訪ねました。広島県出身の著名な画家ですので、広島空港のロビーや公共の施設などでもその作品を目にすることができます。

平山画伯の学童時代の絵も展示されていました。まさに、「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」で、あふれる才能に感嘆しました。

美術館のお庭も画風に合わせたように日本風の落ち着いた雰囲気で、その庭を拝見しながらのコーヒーブレイクは至福の時でした。

生口島(いくちじま)の平山郁夫美術館へ

生口島(いくちじま)の平山郁夫美術館へ
画伯のモチーフの一つがケーキ皿を飾っています。手を付けるのが惜しい‼

「西の日光」耕三寺へ

美術館を出ると、そのお隣さんが耕三寺でした。「東の日光、西の耕三寺」と言われている耕三寺に一度は行かなくちゃ、と長年思っていましたが、ようやく実現できました。

「西の日光」耕三寺へ
左:耕三寺孝養門、日光東照宮陽明門を模して造られたそうです
右:耕三寺本堂、平等院鳳凰堂を模して造られたそうです

耕三寺は、大阪の元実業家だった耕三寺耕三氏が建立した寺院です。

平成15年(2003年)に15棟の堂塔が国の登録有形文化財に指定され、また耕三寺家の美術コレクションが耕三寺博物館館に納められ、昭和28年(1953年)から公開されています。

寺といえども無檀家寺院なので、寺域全体を博物館施設として維持管理されているとか。すごい金持ちだったのですね。

「西の日光」耕三寺へ
希望心(きぼうしん)の丘。耕三寺の一番空に近い場所にあって、まさに空中庭園
イタリアから運ばれた大理石があちこちに置かれ、私には分からないアートの世界
耕三寺博物館が取り組んでいる芸術活動の一環とか

「日本最大の海賊」

続いて、因島水軍城へ。

城というより、村上海賊の資料館です。たくさんの展示資料を興味深く拝見しました。以前、NHKの『ブラタモリ』で「“瀬戸内の覇者”村上海賊」が取り上げられていました。

広島に住むようになって、必ずまわりに「村上さん」がいましたが、もしかすると、村上海賊の末裔なのかもしれません。

「日本最大の海賊」

村上海賊は、14世紀中頃から瀬戸内海で活躍した一族で、戦時には、海の武士団として活躍。平時は船の護衛や水先案内人、また商人や漁業者だったことで知られています。宣教師ルイス・フロイスが「日本最大の海賊」と呼んだことでも有名で、強大な力で瀬戸内海航路を支配していたそうです。

村上水軍か村上海賊か、諸説あるようですが、明治になって軍隊組織ができ、「海軍」の全身として「水軍」と呼んでいるとか。平成28(2016年)年4月に認定された「日本遺産ストーリー」では「Murakami KAIZOKU」と表現されているそうです。

さて、次の小旅行はどこにするか、今から楽しみです。

■もっと知りたい■

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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