枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262018年10月20日
新薬での治療で希望の光が
人生の設計図を書き直す日 その1
40代でC型肝炎が発覚。診断結果にとまどいながら、インターフェロンでの治療を進める。病と共存していく覚悟を決め、その後新薬で完治。22年間の闘病と完治の過程、家族との歩みを振り返ります。今回は新薬の朗報と、完治への希望を抱くお話です。
1錠の薬を1日1回12週間飲み続けるだけ
「harumatiさん、来ましたよ! あなたにぴったりの治療法が!!」
2015年11月2日定期検診でエコー検査室に入るや否や、主治医の先生の喜びに満ちた顔が私を迎えてくれました。
「1錠の薬を1日1回、決まった時間に12週間飲み続けるだけでいいんです。1錠何万円もする薬で、その高さゆえなかなか認可されなかったけれど、とうとう解禁です。しかも国からの補助金が出て、個人負担は1か月1万円です」
先生は、エコー画像を見ながら、ますます笑顔に。「肝臓はまだ十分きれい! もちろん全く正常というわけではありませんよ、長い間C型慢性肝炎を患っていたんだからね。脂肪肝なし! 動脈瘤なし! ヨシ! 行ける!!」
「本当に100%治るんでしょうか……?」
満面の笑みを浮かべる先生とは対照的に浮かない顔の私。2007年の飲み薬+インターフェロンの3回目の治療以来、主治医として半年毎にエコー検査をし、私の肝臓を見続けてくださった先生でした。「私が担当している患者さん100人以上が、既に12週間の服薬を終え、全員ウィルスが消滅しました。完治の判断は服薬終了後6カ月たっても再燃しないことを確認してからになりますが、治験の結果は100%です」
偉大なる孫パワー
3回目の治療が無効に終わってからおよそ9年。その間に私は還暦を迎え、定年退職していました。娘たちは、それぞれ二人の子を持つ母となり、家族でアメリカで暮らすようになっていました。
その後、長女が学齢になった子どもたちを、母校である地元の小学校へ体験入学させるために帰省。プチ同居するようになり、新しいスタイルでの生活―旅行・ボランティア・娘母子とのプチ同居を3本柱に―を楽しんでいました。
長い間続けた点滴や注射による肝庇護の手当ては、出産手伝いのためのアメリカ長期滞在を機に、やめていました。不思議なことに、孫の誕生以来GPT、GOTが正常値はやや上回るものの、安定した値を示すようになっていました。特に娘母子とプチ同居するようになってからは、尚更でした。
夏の2カ月間を、ふるさとに夫が自力で建てたログハウスで、長女と小学生の孫二人、退職した夫と私の5人で過ごし、海で遊んだりバーベキューやクラフトを楽しんだり……時には、長女の夫、次女家族、息子も加わって幸せな時間を多く過ごせるようになり、GPT、GOTは限りなく正常値に近くなっていました。
一病息災を超えて無病息災へ
退職後、ログハウスを拠点に地域活性化の一端を担うボランティア活動も始めていました。イベントの企画運営、計画表やチラシ作り、53歳から続けてきた英語を活かして、外国からのお客様の通訳をしたり、チラシの英語版を作ったりetc.大いに楽しんでもいました。
私のC型肝炎を心配してくれていた友だちの多くも60歳を迎え、何らかの体の不具合を抱えるようになっていました。そんな友だちとの合言葉は「一病息災」―もうこのままでもいいんじゃないか―すっかりC型肝炎との共生が身に付いてしまってもいたのです。
とは言え、それは、いずれ肝硬変から肝がんとなり、迷惑を掛けながらも結構長らえてしまうであろう人生を受け入れることでもあります。そして、それは、いずれなどではなく、もう目の前に迫ってきている。肝硬変や肝がんは、60歳代から始まることが多いということも知っていました。
しかしそこへ、前述のように治療薬の知らせが。1錠の薬を1日1回12週間飲み続けるだけ。
今、人生の設計図を書き直せる大きなチャンスが来たのです! 3本柱の楽しい生活を70歳以降も続けられるという、心弾む人生の設計図に書き直そう!!
次回は、飲み薬だけの治療、84日間の記録と、完治の喜びについてお話します。
■harumatiさんの闘病記一覧はこちら
第1回 私のC型肝炎治療記 その1
第2回 私のC型肝炎治療記 その2
第3回 私のC型肝炎治療記 その3
第4回 人生の設計図を書き直す日 その1
第5回 人生の設計図を書き直す日 その2
第6回 人生の設計図を書き直す日 その3
第10回 脳出血 目覚ましい回復 そして一時帰宅へ
第11回 いよいよ退院へ~維持期のリハビリは自宅でしたい!~
第13回 退院後の紆余曲折を経て、生み出した自分流
第14回 1本の電話から始まった新しい歩み