心弾ませている私を待っていた、次なる病

C型肝炎完治から21日後、脳出血に襲われ

公開日:2018.12.31

40代でC型肝炎が発覚。22年間の闘病と新薬での完治の過程、家族との歩みを振り返ります。C型肝炎を克服後、明るい未来へ心を弾ませていた私に、次なる病がー

何の前触れもなく……

2016年11月3日、何の前触れもなく、脳出血に襲われました。22年間、緩やかに戦いながらも共生してきたC型慢性肝炎の完治から、わずか21日後のことでした。

その日私は、「今日の夕飯はチーズフォンデュ、お楽しみにね」という言葉を家族に残して、元気よくボランティア活動に出かけました。

それからおよそ1時間後、活動場所に向かう知人の車の中で、何かとてつもないことが体の中で起こったと感じた私は、車から降りてその場にしゃがみこみ、夫に電話しました。「どうしたん?」といぶかる夫の質問には答えず、目の前に見えた公民館の名を告げ「すぐに来て!」と叫びました(と思います)。

「そうだ、救急車を呼ばなければ……」と、思った時には、もう指は動かず、知人に救急車を呼んでくれるよう頼みました。すぐに夫が駆け付け、続いて救急車が……。搬送され、管につながれ、たちまちICUの人となった(らしい)。

※イメージ
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幸せな記憶だけが

ICUで止血と血圧コントロールの点滴を受けながら6時間の経過観察後、廊下で待機していた夫と息子に脳外科の先生から、「左視床下部の脳出血であること」「出血が止まったので命に別状はないこと」「右半身に麻痺が残ること」「言語や嚥下に障害が残る可能性があること」が告げられました。

もちろんこれは、すべて後日、夫や息子から聞いた話です。

意識を失うことはなく、救急隊員の問いにもうなずいて答えていたらしいのですが、夫が駆け付けてから、ICUで夫と息子の顔を見るまでのことは、まったく覚えていません。

2人がICUに入って来た時の記憶だけが、妙に鮮やかに残っているのです。私はニッコリ笑って、差し出された息子の手を左手でしっかりと握りしめました。先生から聞いた話に、待っている間にネットで調べた知見を付け加えながら、病名や現況を説明する息子を、頼もしい思いで見つめ、ただ、ニコニコしていました。とても幸せな記憶です。

裸で、病衣に着替えられたこと、尿管を入れられたことetc.恥ずかしいことは、まったく覚えていません。痛かった、しんどかったという記憶もまったくありません。

朦朧とした意識の中で

ICUでの一日が終わり、翌日、SCUに移されました。

私は、右半身が麻痺し、言葉を失ったということにさえ気づかず、ただひたすら自分が引き受けていたボランティアの仕事や、予約していた旅に穴をあけてはいけない、と、そのことばかりを考えていました。そして、そのための段取りを、言葉にならない言葉で夫に伝えようとしました。

朦朧とした意識の中で繰り返すそれを、夫は丁寧に掬い上げ言葉に組み立て「大丈夫。僕がちゃんと連絡しておくから」と。そして、2日後には、私が連絡したかった人たち全てに連絡を済ませ、私を安心させてくれました。

右半身が麻痺していることは、ベッドから落ちたことで自覚しました。

次回は、倒れてから3日目以降、急性期のリハビリと入院生活について書こうと思います。

 

■harumatiさんの闘病記一覧はこちら

第1回 私のC型肝炎治療記 その1

第2回 私のC型肝炎治療記 その2

第3回 私のC型肝炎治療記 その3

第4回 人生の設計図を書き直す日 その1

第5回 人生の設計図を書き直す日 その2

第6回 人生の設計図を書き直す日 その3

第7回 C型肝炎完治から21日後、脳出血に襲われ

第8回 「かむい、かむい」-。脳出血急性期の入院生活

第9回 歩くことが難しい! 回復期のリハビリテーション

第10回 脳出血 目覚ましい回復 そして一時帰宅へ

第11回 いよいよ退院へ~維持期のリハビリは自宅でしたい!~

第12回 発症から3か月、維持期に入る頃退院へ。しかし……

第13回 退院後の紆余曲折を経て、生み出した自分流

第14回 1本の電話から始まった新しい歩み

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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