かやぶき音楽堂

2024年09月11日

京都・かやぶき音楽堂のピアノコンサート

夫婦デュオ45年カズコ・ザイラーさん、一人になって

京都の静かな里山に、築230年を超える見事なかやぶき屋根の音楽堂があります。ここで開かれるザイラー夫妻のピアノデュオコンサートは、長年評判でした。夫が急逝し、66歳から一人で演奏することになったカズコ・ザイラーさんの、再生の物語です。

こんなところに…京都のかやぶき音楽堂

かやぶき音楽堂
120畳はある音楽堂。見上げると美しい梁とかやぶき屋根が

京都市内から電車で小一時間、駅から田んぼを横に眺めつつ15分ほど歩くと、里山を背景に立つ大きなかやぶき屋根の家屋が見えてきます。

青葉がいきいきと茂る初夏、田んぼが黄金色に輝く秋、ここ胡麻(ごま)にある「かやぶき音楽堂」で、カズコ・ザイラーさんはコンサートを開いています。

元は禅寺だったという建物で奏でられるピアノは、太い柱や梁、高い天井のかやぶき屋根と共鳴し、まろやかで優しい音色となって、250人の聴衆を包みます。

演奏の休憩時間には、カズコさんお手製のドイツ風ケーキとペパーミントティーがふるまわれ、終演後には、胡麻の田んぼで採れたお米のおにぎりも。

「この辺りは帰りに立ち寄るレストランもコンビニもなかったので、おなかが空かれたらと思い、始めたんです。おにぎりをほおばりながら、田んぼ道を歩いて帰るお客様の後ろ姿は楽しそうです」。そう言ってカズコさんは目を細めます。

お手製ケーキ
コンサートの休憩時間にふるまわれるカズコさんお手製のケーキ
おにぎり
地元の田んぼで取れたお米でつくったおにぎり。村の方が協力してくれます

この最上級の演奏と手ずからのおもてなしの評判を聞き、毎年大勢の人々が全国からかやぶき音楽堂にやってきます。

2017年まではここに、夫のエルンスト・ザイラーさんの姿がありました。

夫婦でピアノデュオ結成~そして別れ

エルンストさんはカズコさんの16歳年上で、祖国のドイツをはじめ、日本やアメリカ、ヨーロッパで活躍する著名なピアニストでした。

一時期、日本でピアノの指導をしていたときに、桐朋女子高校音楽科の受験を控えた中学生のカズコさんと師弟として出会います。その4年後、カズコさんがオーストリアの音楽大学へ留学する際ザルツブルクで運命的に再会。

のちに二人は結婚し、1台(あるいは2台)のピアノに並んで演奏する「四手連弾(よんしゅれんだん)」の名手として、カズコさんの出身地・京都を拠点に、国内外で演奏会を続けてきました。

ピアノデュオ
写真提供=カズコ・ザイラーさん

しかし、2016年5月、エルンストさんは急性骨髄性白血病を告知されます。

「それでも主人は病気を公言せず、北海道、東京、関西、四国と各地の演奏会に出向きました。京都に戻ると入院して輸血。そしてまた酸素ボンベを持って演奏会へ。輸血のパックって、どこから来た血液なのか書いてあるんです。大阪のものが多くて、『これで僕は、すっかり日本人だ』とジョークを飛ばしていました」と振り返ります。

病気がわかったあとも演奏旅行へ
病院で輸血を受けながらの演奏会旅行。あれほど回れたのは、今思うと奇跡です(カズコさん)写真提供=カズコ・ザイラーさん

日々、気丈に鍵盤に向かっていたエルンストさんでしたが、17年3月、この世を去ります。恒例のかやぶき音楽堂コンサートの2か月前でした。

すでに演奏会のチケットも売れ、その日を楽しみにしているお客様が多くいらっしゃいました。カズコさんは逡巡する間もなく、急きょニューヨークから知り合いのピアニストにも来てもらい、コンサートを開きました。迷わなかったというより、夫の闘病中から無我夢中で突っ走ってきた、その延長といった方が近かったかもしれません。

失ったけれど、新しいチャンスを与えられたと考える

「ずっとデュオを続けてきたので、ソロは隣に誰もいなくて88の鍵盤がすべて私のもので、平衡感覚を失ったような気分です。これからヴァイオリンなどの弦楽器や他のピアニストが入った、これまでとは形態の違う室内楽にも取り組むので、今になって必死に練習をしています。

でも、新しいチャンスがあったこと、これからもあること、協力してくれる音楽仲間がいること、一生懸命やれることがあるというのは、幸せなことです」

エルンストさんがいなくなった今も、正直、悲しみは消えません。

「昔は一つのことを決めるのに文句の言い合いや気をもむことがあると“一人だったら何でも自分で決められて楽なのかな”なんて思っていました。でも実際に一人になると、決められないんです。一緒にいるときは気が付かないけれど、あのごちゃごちゃ言い合っていた時間こそが大切だったと、今になってふっと気付くんです」

ただその追憶は、時を経て「二人でいろんなことができたのは幸せだった」と感謝の気持ちに変化してきました。

また今があるのは、一番つらい時期、励まし傍に寄り添ってくれた家族や友人たちの存在があったからということにも。

カズコザイラーさん
背景には、胡麻の豊かな自然。ピアノの音色は温かく音楽堂を包み込むように広がります

音楽は、人の輪という花を咲かせる仕事

ざぶとん
かやぶき音楽堂の第1回演奏会は無料で、持参する座布団が入場料代わりでした。みなさんが持ち寄った色とりどりの400枚の座布団です

「夫は種から作ることにこだわる人だったんですよ」とカズコさんは言います。例えば野菜やお米作り。例えば北海道の廃校を巡った演奏会。「廃校の卒業生たちが運営を手伝ったり聴きに来てくださったりしたんです。あとで、それをきっかけに、廃校が地域のみなさんの集いの場になったと聞き感激しました」

いつも先を見ていた人だった、とカズコさんは付け加えます。きっとこんなふうに、音楽という種をまいて人の輪という花を咲かせることを、心に描いていたのかもしれません。「主人としていたように、また各地へ公演に出掛けたいです」

二人のメインの舞台であったかやぶき音楽堂は、恒例のコンサートの他に、建物を文化・芸術的なことに貸す方法も模索中。現実には、多額の修繕費用がかかるかやぶきの維持管理という課題もあります。

国の登録文化財になっているので少しは修繕補助金が出るものの、ほとんどは自費で賄わなければなりません。そのため「かやぶき基金」を設けて広く協力を求めてもいます。

「私も70代になりました。経済的にも、維持管理費が大変な中、コロナパンデミックもあり、私と主人が全霊で取り組んできたかやぶき音楽堂ですが、手放すことも視野に入れなければならないと、考えています。そんな状況ですが、音楽堂で演奏できるのは、望外の喜びです。

やること、やりたいことはたくさんありますが、先を見て焦らずに、今の私にできることを、少しずつやっていきます。そうすれば、道は開けるはずだから」

かやぶきふきかえ
取材日に、ちょうどかやぶきのふき替えをしていました。維持するのは労力も金銭的にも大変だといいます

2020年からはコロナ感染拡大の影響で、かやぶき音楽堂のコンサートもやむなく取り止めてきました。そして2022年夏、カズコさんは久しぶりに、娘でヴァイオリニストのキオ・ザイラーさんと、かやぶき音楽堂でコンサート を行いました。

「少しずつですが、かやぶき音楽堂にお客様が足を運んでくれる日常が戻ってきた手ごたえを感じています。なにより、みなさんが幸せそうに聴いてくださる様子がうれしいのです」とカズコさん。

2022年10月には、恒例の「秋のかやぶきコンサート」も再開しました。

「30年ぶりのソロコンサート。前から演奏したかった曲、主人亡き後、新たな心と頭で手に入れたレパートリーを、心を込めて演奏させていただきます。

感染予防もしっかりしつつ、新しい形の一期一会ですが、お帰りに、新米を少しずつと、大関さん提供のレモン甘酒を、お持ち帰りいただこうと準備中です。かやぶき音楽堂でのひとときを楽しんでいただけたらうれしいです」

あれから2年、お客様からの声援を受けて2024年も「秋のかやぶきコンサート」が開催されます。京都の静かな田園に響くピアノはどんな音色でしょうか。

カズコ・ザイラーさんプロフィール

ピアニスト。1951(昭和26)年、京都府生まれ。桐朋女子高等学校音楽科卒業後、オーストリアのザルツブルク音楽大学へ留学。在学中よりヨーロッパ各地で演奏活動を行う。72年にエルンスト・ザイラーとピアノデュオを結成し、国内外で四手連弾アンサンブルとして演奏会に出演。89年に京都・胡麻の里にかやぶき音楽堂を建立し、コンサート活動開始。2012年に夫婦で京都府文化賞功労賞、京都創造者賞(アート・文化部門)を受賞。19年には地域文化功労者文化科学大臣表彰を受賞。現在ソロ、室内楽コンサート、講演など意欲的に活動を続ける。

 

■秋のかやぶきコンサート2024■

日時:2024年10月12日(土) 11時開演、15時開演
ピアノデュオ:カズコ・ザイラー、フランコ・インモ・ツィヒナー
入場料:5000円
詳しくは、かやぶき音楽堂ホームページ

10月のごま
2019年10月、かやぶき音楽堂から見た景色(編集部撮影)
10月の音楽堂
再開が楽しみな、かやぶき音楽堂コンサート(編集部撮影)

取材・文=前田まき(編集部) 撮影=大島拓也 写真提供=カズコ・ザイラー
※雑誌「ハルメク」2019年6月号掲載の記事を再編集しています。

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