たとえ自信がなくても
他に選択肢がないのだから
ここでやるしかない!
ここでがんばるしかない!

昭和女子大学の総長であり、ベストセラー『女性の品格』の著者としても知られる坂東眞理子さん。2人の娘を育て上げ、77歳になった今も第一線で働き続ける坂東さんに、人生後半の女性の働き方、本当の幸せの見つけ方を学ぶ特別インタビュー第1回。

50代、キャリア最盛期から
失意へ

振り返ると、私にとって50代は、大きな達成感と大きな挫折を味わった激動の時代でした。35年近く公務員として働き、50代は埼玉県の副知事、ブリスベン総領事、内閣府での初代男女共同参画局長などキャリアの最盛期を迎えました。

でも、いいことは永遠には続きませんね。57歳のときに公務員を辞めて埼玉県知事選に出馬したのですが、大変残念なことに落選してしまったのです。

当時51歳、副知事として働いていた頃(写真提供=坂東眞理子さん)

 

私は副知事を3年間務めたこともあり、埼玉県には知人も多く、使命感もありました。それなりにいい仕事をしてきたという自負もありましたし、応援してくれる方もたくさんいました。

公務員としての長年の行政経験を生かし、埼玉県のためにやるべきこと、できることがたくさんあると思っていたのです。もちろん出馬する以上は当選できるつもりでいました。

自分ではお役に立てると思っていたのに、周りはそのようには評価してくれなかったわけです。

それまでやってきたことが全部ゼロになり、人生おしまいだ――。とても傷つき、そんなふうにも思い詰めました。今になってみれば本当に浅はかですが、あの頃は57歳の自分を「もう若くない」「もう、いい年だ」「これから先何もできない」とも思っていたのです。

そんな失意のどん底にいたとき、「うちの大学に来てくれませんか」と、お声をかけてくださったのが昭和女子大学でした。

いつだって人生の転機には
チャンスを与えてくれる人がいた

ご縁とは不思議なもので、私を誘ってくださった昭和女子大学の理事の方は以前、私がお話をした小さな講演会に来てくださっていたそうです。もちろん、そのときの私は知る由もありません。

自分が意識していないときに出会った方が、後々になってチャンスを与えて下さる。まさにご縁ですね。みなさんにもそういう経験があるのではないでしょうか。

自分のことは自分ではよくわかっていないものです。目標にこだわればこだわるほど、わからなくなるものです。でも誰かが自分のいいところを評価して、お声をかけてくれる。そういう方は本当に宝ですね。

自分ではそんなに優れていないと思っていても、「これをやるといいんじゃない? やってみたら?」と言ってくれる。その提案にまずは素直にのってみるか、「私には無理」と謙遜して見送るかで、その後の人生が大きく変わる気がします。

思い返せば、そういうご縁にたくさん恵まれてきました。本だってそうです。「こんな本を書いてみませんか」とチャンスを与えていただき、これまでに書いた本は60冊ほど。60歳のときに出した『女性の品格』は、生まれて初めてのベストセラーになりました。本当にありがたいことです。

人生最大の挫折を味わい、ご縁に助けられて大学という新しい世界に飛び込んだ50代後半。未知のステージは不安だらけで、「ここでやっていける」と思えるようになるまでには、5年近い時間がかかりました。そのお話は次回、詳しくお話ししますね。

取材・文=佐田節子 写真=林ひろし
構成=長倉志乃(ハルメク365編集部)

坂東眞理子

ばんどうまりこ

 

1946(昭和21)年、富山県生まれ。東京大学卒業。69年、総理府入省。内閣広報室参事官、男女共同参画室長、埼玉県副知事などを経て、98年、女性初の総領事(オーストラリア・ブリスベン)。2001年、内閣府初代男女共同参画局長を務め退官。04年、昭和女子大学教授となり、07年、同大学学長。16年から理事長・総長、23年から現職。06年刊行の『女性の品格』(PHP新書)は320万部を超えるベストセラーに。最新刊に『幸せな人生のつくり方――今だからできることを』(祥伝社文庫)など著書多数。

 

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