原田美枝子さん
これまでの歩みを語った特別インタビュー!

ハルメク365「プレミアム★インタビュー」に、女優の原田美枝子さんが登場!世間の声に悩み死にたいと思い詰めた10代から、母を看取り「命を使い切る」ことの大切さを実感し、現在。原田さんの"今の思い"がハルメク365会員限定で読めます!

原田美枝子さん、
人生に転機をもたらした数々の出合い

2024年には、デビュー50周年を迎える、名優・原田美枝子さん。1998年の映画「愛を乞うひと」では、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞をはじめ多数受賞し、その後も、映画のみならずNHK大河ドラマや朝の連続ドラマ、舞台やナレーター、CM出演など幅広い分野で第一線で活躍しています。

デビューは高校1年生のとき、映画「恋は緑の風の中」(1974年)のヒロイン役でした。2年後、17歳で出演した映画「大地の子守唄」ではブルーリボン賞・新人賞を受賞。10代でキネマ旬報主演女優賞受賞など、高い演技力で一躍人気女優の階段を上っていきます。

しかし、その活躍の裏で、デビュー映画で裸になったことに寄せられる世間の声や、厳しい先輩俳優の言葉に傷つき、自分自身を見失いかけていたと言います。

自暴自棄になりそうになった原田さんを救ったもの、それもまた映画やドラマの世界での出会いでした。勝新太郎さん、黒沢明監督、そして親しい先輩でもあった松田優作さん。原田さんがどう「生きる力」を得たのか、特に松田優作さんの死から導かれるように出合ったことは、その後の原田さんの生き方を方向づけました。

認知症になっても…
最愛の母が見せてくれた生き様は

原田さんは、2021年に最愛の母・ヒサ子さんを亡くしました。15歳のデビューからずっと伴走し、3人の子どもを共に育て上げてくれた「頼れる母」ヒサ子さん。その母に、認知症の症状が見え始めたのは、原田さんが子育ての手が離れた50代後半のことでした。

そして認知症になって何年かした頃、母が突然発したひと言をきっかけに、原田さんは初めて「ヒサ子さん」のこれまでの人生に向き合うことになります。原田さんの思いは、老親を持つ世代としては心に深く刺さり、胸を打ちます。

原田さんは、そんなヒサ子さんを主演女優にして2020年公開のドキュメンタリー映画「女優・原田ヒサ子」を制作しました。

記憶が薄れていく中で、映画のロケ中、母が身をもって教えてくれた「一生懸命生きる」ことの大切さとは?そして2021年、人生の幕を閉じるまで娘に見せてくれた「命を使い切る」ことの貴さとは?

さまざまな出合いを通して手に入れた、ネガティブな声や周囲の状況に左右されない「自分」を慈しむ方法は、大人女性は特に必読です。

どうぞ「プレミアム★インタビュー 原田美枝子」でお読みください。

原田 美枝子

はらだ みえこ

 

東京都生まれ。1974年にデビュー以降、映画、ドラマ、舞台で活躍。76年映画「大地の子守歌」「青春の殺人者」でキネマ旬報主演女優賞など9賞を受賞。85年、黒澤明監督「乱」に出演。98年「愛を乞うひと」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など受賞多数。近年の出演作に映画「百花」「そして僕は途方に暮れる」、ドラマ「ちむどんどん」「雲霧仁左衛門6」、舞台「誤解」「桜の園」など。自ら制作・撮影・編集・監督を務めたドキュメンタリー映画「女優 原田ヒサ子」が、Netflixにて配信中。

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