亡き父のお話~毎日の暴言電話からの面会禁止発令
2022.05.102022年11月12日
いきなり始まった私の介護に関わる人生(19)
母は突然認知症になりました
今回は過去の記事にも出てきている認知症の母の事で、いつ、どのようなキッカケで認知症とわかったのかなどお話しします。少しでもみなさまのお役に立てたらと思います。
母という人
母は5人兄妹の二女として生まれ、一時養女に出たと聞かされたことがあります。
三女である伯母が「きっとお母さんが一番穏やかで素直だったから選ばれたのかもね」と言うほど、四人姉妹でいてもみんなの後ろをついていく控えめなタイプ。いつも優しいほほ笑むような笑顔の人だったので、養女に行っても問題ないと思われたのかもしれません。
そんな母も高校卒業した後は、養女先から地元に帰ってきて就職。そこで父と知り合い結婚。
その時父の家には祖父母はもちろん、まだ結婚していない叔父叔母が住んでいました。小さい家の中に大勢の家族がいるところに嫁いだ母の苦労は、大変だっただろうと想像できます。
亭主関白に輪をかけた父に口答えもせず、祖父母を看取り、パートにも出て。それでもいつも穏やかにいる母が、私は大好きでした。
ある日の父の言葉
「お母さんが少しボケてきたんだよ」
ある日、父からそんな言葉を言われました。年齢も年齢だし年相応のボケじゃなくて? と私は父のその言葉を重く受け止めませんでした。
その言葉を聞いた後日、両親と買い物に出かけたとき、母は野菜売り場の所で「あなた、レタス買ったの?」というセリフを私に3回言ってきました。
2回目までは「同じことさっき聞いたわよ」と笑い話になりましたが、さすがに真顔で3回目を言われたときの怖さといったら……。
24時間一緒にいた父は、この母の異常さを早くから気づき、私と同じように怖さを感じたのかもしれません。
穏やかな母が怒る
ある日、父が「同じおかずばかり作って! たまには違うのも食べさせろ!」と母を怒鳴った時がありました。
いつもなら父に怒鳴られると萎縮してしまう母ですが、その時ばかりは「同じ物ばかり作ってない! ちゃんと作ってるわよ!」と言い返したのです。
その姿に驚いた父と私。「お父さんは何が食べたいの?」とその雰囲気をどうにか穏やかにするために私が問いかけると「焼き魚が食べたいんだ」と答える父。「お魚だって焼いてるわよ!」と言い返す母。
そのとき冷蔵庫を覗くと、いつのものだかわからないお肉や魚が冷凍されていたり、豆腐が10丁くらい積み重なっていたり、それはそれは料理をしているとは思えない状態。
母が作ったと思われる同じおかずがラップに包まれて何皿もあり、父の言うとおりでした。
「母は認知症なんだ……」
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