人生が大きく変わった素晴らしい一年

49年前の恩師からのエール

公開日:2022.07.09

人生にはさまざまな出会いがあり、その中にはかけがえのない人が誰にでも一人や二人いるのではないでしょうか。ハルメクWEBで毎月思い出の記録として残せる幸せは、大好きな担任の吉田先生との出会い、私が小学校6年生の時にさかのぼります。

大分県少年少女陸上記録会

平凡に生活していた小学校6年生の秋、吉田先生に「陸上記録会に出てみないか」と声をかけていただき、これが私にとって人生初の大きなイベントの始まりだったのです。

大会まで10日間くらいだったでしょうか、放課後の練習に励み、私は短距離・リレー・幅跳びに参加しました。

大分県少年少女陸上記録会

大会当日に奇跡としか言いようのない出来事が起こったのです。幅跳びの練習では何度飛んでも4mを超えることはなかったのに、本番6回中に4m53cmの自己最高記録が出たのです。

今思うと、会場までの電車内で先生に言われた「優勝したらラーメンごちそうしてあげるよ」の言葉で試合への緊張感がほぐれて、競技を楽しむ気持ちに変化していたような気がします。この自己記録は大会新記録として登録されて、念願の表彰台に上がることができました。

もちろん先生方は心から喜んでくださいました。先生からのほめ言葉の詳細は記憶にありませんが、何だか新しい自分になれたようで、ただただうれしかったのを覚えています。新しいことにチャレンジする大切さを、子供心に実感した出来事でした。

大分県少年少女陸上記録会

ほめられることの心地よさ

あの陸上記録会以来、先生にほめられたくていろいろなことに取り組む内に、他の教科への姿勢が積極的になっていました。授業中に先生からほめられた時には、もっとがんばる自分になっていました。

大学ノートに日々の出来事を数行綴る簡単な個人日誌も、義務からいつしか楽しみに変わっていました。赤字で書かれた先生のコメントは思わずニッコリするようなうれしい内容が多くなっていたからです。

通知表に書かれた「ノートを見るのが楽しみです」という先生直筆の文字は今でもすごいパワーがあり、今の私に向けても十分背中を押していただいているような不思議な感覚でした。

最後(2/28発行)の学校新聞への思い出文掲載

最後(2/28発行)の学校新聞への思い出文掲載

「卒業前の学校新聞に6年の思い出を書いて欲しい」と吉田先生に頼まれ、うれしい反面余りの大役に不安を覚えながらも引き受けることに……。

先生の期待に少しでも応えたくて、何度も推敲した作文が学校新聞(A3の裏表)内の「作品」の欄に掲載されたのです。

大切な書類入れの中からそっと「津小くすの木の新聞」を取り出すと、色褪せて、ところどころにシミができています。読み返すと自分的に一番変わった素晴らしい一年だと改めて感動です。

今回こうして恩師が思い出されたのは、やはり何かしら意味があることなのかもしれません。

「一度きりの人生だから、悔いのないようにまだまだいろいろなことにチャレンジして、新しい自分発見をしよう」とアドバイスをして下さったのかも……。

 

■もっと知りたい■

蒲池 香寿代

大分県生まれ。小学校の時に恩師の先生との日記を機に何かしら記録することが習慣になっていました。結婚後は家計簿日記と運動不足解消の体操が日課になっています。元気なうちに念願のキャンピングカーで日本全国を横断するのが夢です。

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