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- 山は美しく素晴らしい。でも、怖いこともあります
ひとり旅が大好きな翠さんは、山道を歩くことも大好きです。そんな翠さんが山道でのいろいろな経験をつづってくれました。楽しいこと、不思議なこと、怖いことなどがあったそうです。一体どんなことがあったのでしょうか?
浅間神社の裏山を歩いてきました
はるか昔、高校生のときに友人に誘われて山梨県の大菩薩嶺(だいぼさつれい)に登ったのがきっかけになってすっかり山に魅了されてしまいました。それ以来、東京都奥多摩の山を一人で登っていました。
しかし、山とは縁が切れてすっかり遠ざかっていたのですが、また山を歩きたい気持ちになりました。一人歩きが好きな性分なので、いまさらどこかの愛好会に入るのは気が引けます。かといって冒険して百名山やら名の知れた山にどんどん出掛ける気にもならず。何かあって、「老女、無謀な登山」などと報道されるのも嫌だし……。
ということで、今の私は気楽にいける近場の尾根道を時折、歩くだけなのです。
バスと電車を乗り継ぎ、街中を30分ほど歩くと、山歩きのスタートになる浅間神社の境内にたどり着きます。神社の奥の階段から登り始め、小さい山城跡を通過し、上り下りを数回繰り返す高低差の少ない尾根道を3時間30分ほど。それだけでも山の息吹を感じることができるのです。しかし、麓には「イノシシ出没注意」の看板が出ています。気楽な尾根道ですが、やっぱり山道、気持ちがちょっと引き締まります。
景色を見たり、足元の花を写真に収めたり、鳥の声を聞きながらマイペースに歩きます。お茶畑の向こうには安倍川が流れ、そのはるか先に南アルプスの山がかすんでいます。晴れた日には富士山が美しく見え、駿河湾がキラキラ光って見えます。その尾根道を独り占めしながら汗だくになりながら歩きます。
9月に尾根道歩きをしたときは、家を出るまでに時間がかかったので途中で引き返すことにして歩きました。引き返すということは初めてで、新鮮な気持ちでした。
尾根道を歩き、ちょうど1時間ほどでベンチが置かれた「一本杉」という場所に到着。ここにはかつては大きな一本の杉があったそうです。ベンチには先客がいて、私が背中のリュックを下すと、「どうぞお掛けになりませんか」と、場所をあけてくれました。をその方と少し話をする時間が持てました。尾根歩きの途中でこのような触れ合いがたびたびあるのも、山歩きの楽しみの一つです。
旅は道連れ。偶然出会った4人で山歩き
山歩きの楽しみは他にもあります。
ある日、歩いていると、「どこまで行くのですか」と、40代くらいの女性に声を掛けられました。「鯨ヶ池(くじらがいけ)まで歩きます」と答えると、その方は「ぜひお供させてください」と言うのです。
「それではどうぞ」と二人で歩き始めると、また声を掛けてきた70代の女性が。「お二人でどこまで行くのですか」と聞かれ、「今知り合ったのですが、鯨ヶ池までです」と答えると、「ぜひ一緒に行かせてください」と。
そして、不思議なことに、また70代の女性がもう一人が同じように加わって、なんと見ず知らずの女性4人でその山道を歩くことになったのです。
4人のうち最高年齢は75歳だったので、道を急ぐわけにはいかず、時間はいつもの倍ほどもかかりましたが、それぞれがゆっくり会話をしながらなんとか目的地までたどり着きました。不思議な4人組で歩く尾根道は、またそれはそれで楽しいものでした。
不思議な体験。誰もいないはずの所で鳴った携帯電話
また、こんな出来事もありました。
歩いていると不思議なこともあります。初めて夫と二人で山歩きをしたときのことです。「たまには山の雰囲気を感じるのも楽しいのよ」と、私が夫を誘いました。もうあと20分ほどで目的地の鯨ヶ池というときに、山道の草がこんもり茂っているところから携帯の着信音が聞こえてきたのです。決して人が入り込むような草むらではなく、ひと休みで腰を下ろす人もないような場所なのです。
私が草むらに入ろうとすると、夫が「嫌なものでも発見してしたらよくないから、草むらには行かない方がよい」と言うので、しぶしぶその場を後にして下山しました。
しかし、家に戻ってからもどうしても納得できずに交番に出掛けて話を聴いてもらいました。お巡りさんの判断にお任せしますが、とりあえず届け出はしますということで。
それからしばらくしてその尾根道の最寄りの警察署から連絡があり、今日中にどうしても見ておきたいので山道を案内してほしいと頼まれました。もうすでに夕方が迫っていました。迎えの覆面パトカーが我が家に来て、刑事さんと夫と乗り込んで、また山道に戻りました。
麓で待機していたお巡りさん数名と、走るように暗くなりかけた山道を引き返しました。長い棒で草むらを突き刺しながら捜索しましたが、何も見つからないようでした。なぜそんなところで携帯電話が鳴るのか誰もが首をかしげるばかりでしたが、その日は暗くなってきたので、捜索は打ち切られました。
後日、所轄署で再度捜索し、金属探知機も使って探したようですが、携帯電話も(おかしな変死体も)見つからなかったので「めでたし、めでたし」ということで落着しました。あの電話の着信音は何だったのでしょうか? 今でも謎です。
幻覚?幻聴?それとも……
最後のエピソードは、ちょっと怖い経験です。
ある日、一人で何の目的もなく、来たバスに乗り込みました(ときどきそういうことをするのです)。
途中、バスの案内で「次は廻り沢(めぐりさわ)、廻り沢」というアナウンスを聞きました。「まあなんと素敵なネーミング! 廻り沢ですって~!」と心が浮き立ちました。下車ボタンを押して、降りることにしました。
バス停の横の沢に沿った緩やかな傾斜の道を歩き始めました。しばらくすると人家が数件現れて、そこを通り抜けてどんどん登って行くと、沢に沿って山が深くなり緑一色の世界に変わりました。聞こえるのは沢の音と鳥の声だけの世界。
「すごいぞ、すごいじゃないか」と、ワクワクしながら歩き続けました。すると、はて、人の声がしてきました。
なんと万観峰(まんかんほう)と高草山の鞍部(あんぶ)にたどり着いたのです。かつて、いつかは行ってみたいと思っていた二つの山の真ん中に偶然出たわけで、自分としては地理的な感覚がピタリと合って、ビックリしたのです。右に行けば高草山、左に行けば万観峰。ひと休みする人たちがそこにグループで座っていました。
道を聞いて、私は万観峰に登ってみることにしました。万観峰は名前の通り山頂は360度の景色が見える山です。廻り沢から歩き始めて2時間ほどで山の頂上に出たわけです。そこでも地理的に知識のない私は道を教えてもらい、今来た道とは違う古い道を下山することにしました。
その道は「蔦(つた)の細道」として有名な古(いにしえ)の道だったのです。細い足の幅ほどの踏み跡を歩いて行くと、藪に突き当たってしまいました。前に進めず、困って周りを見渡すと、どうやら道を踏み間違えていたようです。
来た道を戻り始めて、すぐにまた正しい道を探すことができホッとしました。しかし、行けども行けども道案内の表示がなく、高い独立峰を一つ越して下って行くと、、どこからともなく人の話し声がしてきました。一方向からではなく、いくつもの場所で数名の女性が話す声が聞こえてきました。
「どなたかいらっしゃいますか~」と大声で呼ぶと、声はぴたりと止みました。また歩き始めると、すぐそばの竹やぶの中に青いトタン屋根の家が見えてきました。近づいていくと、家は見えなくなります。また仕方なく歩き始めると次はすぐ近くで木を切る音がするのです。きこりや杉林を整備する人が作業をしているのだと思いましたが、とても近くで音がするので「どなたかいますか」と声を掛けました。
すると、木を切る音は消えてしまいました。次にはチェンソーで木を切る音がするばかりです。もう声を掛けるのを止めました。家が見え始めましたが、近寄るのも止めました。幻聴と幻覚というのでしょうか。初めて経験しました。
しかし、ここは山の中。バスの通る国道には、どこまで歩いたらたどり着けるのでしょうか。いつまで幻覚と幻聴を見せられるのでしょうか。不安で、怖くて、心が折れそうでした。
が、ここでくじけたらいけません。自分を叱咤激励して、「お前はそんな軟(やわ)じゃないだろう、こんなことで負ける女じゃないだろう、しっかり歩けばいつかたどり着けるはずだ!」と、声に出して歩きました。そうして1時間ほど歩き続けてやっと国道にたどり着くことができました。
バスが到着し、乗り込んで席に座ったときには、全身が汗で濡れていました。冷たい汗でした。
自然がいっぱいの美しい山の道でも、時には試されるような出来事があるのですね。それでも私は山道が好きです。しかし、この沢沿いの道から蔦の細道経由はもう決して歩くことはないでしょう。生きていると不思議なことがいっぱいありますね。
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