人生の選択を“正解”にするのは自分の行動と気持ち
2024.05.172024年05月17日
【シリーズ|彼女の生き様】キャシー中島 #3
娘の死。自然と笑える日まで努力してでも笑顔でいる
ドラえもんの言葉が好きなんです。 「つらいことや悲しいことがあっても、 耐えていると2倍いいことがあるよ」って
見えないけど一緒にいる
最愛の娘の存在
私には娘が2人、息子が1人います。長女が七奈美です。夫(勝野洋さん)の本名の「六洋」と私の本名の「八千代」の間に生まれた愛する娘だから、“六”と“八”の間の“七”という字をどうしても入れたくて、七奈美と名付けました。娘もこの名前を気に入ってくれていました。
七奈美は2009年の7月7日、29歳の若さで亡くなりました。結婚して2か月たった頃から咳が出始め、それからわずか7か月後に星になりました。がんでした。
今も“7”の付く日にはお墓参りに行きます。夫と一緒に行ける日は一緒に。寒くなったらマフラーを編んで、墓前にあるイルカのモニュメントに巻いてあげたりして。私も夫も、ここに来ると気持ちがすごく落ち着きます。今もいつも一緒。見えないけど一緒にいると感じています。
でも、そういうふうに思えるようになるまでには、時間がかかりました。誰だってそうだと思いますが、最愛の娘を亡くすなんてことが自分に起きるとは思ってもいないですものね。私は目の前にあるものをどんどん乗り越えて進んでいくタイプですが、この経験は大きな壁でした。
泣いているのは誰のため?
息子の言葉にハッとして
キャシーさんのインスタグラム(@official_kathynakajima) では毎年、亡き娘へのメッセージが綴られる
闘病中は娘がやりたいと思うことは何でもやってあげたい、治療だって家を売ってでも借金をしてでも、やりたい治療をさせてあげたいと思っていました。そして、とにかく穏やかに過ごせるように、不安な思いはさせないように、と。
でも私は泣き虫でね、よく泣いていたんです。娘と会っているときはまだいいんですが、そうじゃないときは自分を保つことができなくて。みんなに「そばにいてね、一人にしないでね」とお願いしていました。
ある日、息子に言われました。「おかん、泣いているのは自分のためでしょ。お姉ちゃんのためじゃないでしょ」と。確かにそう。自分が悲しい、寂しい、つらいから泣いている。病気と闘っている娘の気持ちを考えると、私に泣かれたら困るわよね。息子からは「泣くのは禁止。1回泣いたら5000円だからね」と言われたけど、夫も泣いていたな、あの頃は……。
ごめんなさいね、思い出すと今でも涙が出てくるの。
娘のことを思いながら、ひと針ひと針縫い上げたキルト。
娘が大好きだったオレンジ色で
『Aloha nui loa キャシー中島・51年目のキルト作品集』(大和書房刊)より©斉藤亢
努めて笑って過ごしたら
自然と笑顔が“自分の顔”に
それでも、一緒にいてくれる家族がいたから、なんとか乗り越えられました。娘を亡くしたことで家族の結束は固くなりましたが、それまで5人でバランスが取れていたのが1人欠けてしまうとね。それぞれの心のバランスが崩れてくるから、大変でした。
私もしばらくは泣いて暮らしていました。でも大切な娘を亡くしたからといって、自分の人生まで終わらせるわけにはいかない。亡くなった子どものことばかり考えて病気になったりしたら、周りに迷惑をかけてしまう。どこかで区切りをつけて前向きになって、「一緒に行こうね」という気持ちになるしかないと思いました。
キルト教室の生徒さん、私のことを先生と呼んでくださる方たちも心配してくれていました。私はこれからもこの方たちに新しいことを教えていかないといけない、悲しい顔ばかり見せていたら教室に来ても楽しくないだろうな、と。だから、ちょっと変な言い方かもしれませんが、がんばる顔を見せようと思いました。
それになにより、七奈美自身が、家に閉じこもってメソメソ泣いている私を好きじゃないはず。このままではダメ、泣いてばかりではいられないって思ったんです。
こうなったら、反対に明るくなっちゃえ! そう思って相当に努力して明るく振る舞うようにしました。お洋服も派手な色を着るようにして、いつも笑顔でいようって。時には心無い言葉をかけられることもあったけれど、「一緒にがんばりましょう」と発信することで、同じように子どもを見送った方からは「元気をもらえる」と言っていただいたりして。
がんばる顔を見せよう、いつも笑顔でいよう、そう思っていると本当にそうなってくるから、不思議ね。努めて笑うようにしていたら、自然と笑顔が自分の顔になっていました(笑)
笑われちゃうかもしれないけど、私はドラえもんの言葉が好きなんです。「つらいことや悲しいことがあっても、耐えていると2倍いいことがあるよ」って、ドラえもんはよく言っています。私もその通りだなと思うんです。
あれから15年。今は孫も3人いて、好きなキルトが続けられて、この年で好きなように動けて、やりたいことができて、生まれ故郷のハワイにも毎年行っている。そして家族がいてくれる。七奈美もいつも一緒。幸せです。2倍いいことがあるというのは本当ね。
取材・文=佐田節子 写真=中西裕人
構成=長倉志乃(ハルメク365編集部)
【シリーズ|彼女の生き様】
キャシー中島《全5回》
キャシー中島
きゃしーなかじま
ハワイ・マウイ島に生まれ、3歳のころから日本で生活。1969年モデルとして芸能界デビューする。その後テレビタレントとして活躍。パッチワークスクールを主宰し、後進の指導に励んでいる。最新刊『Aloha nui loa』(大和書房)ほか多数。2024年3月には東京・三軒茶屋にカフェ「キャシーマム」をオープン。