風吹ジュン|どんな不条理でも、私は闘わない――風吹ジュンの選択 風吹ジュン|どんな不条理でも、私は闘わない――風吹ジュンの選択

中学で自活を始めたとき、心のよりどころは料理でした。
どんな経験も宝に変えれば、幸せに生きる武器になります

70代を迎えてなお、チャーミングな魅力を増し続けている女優の風吹ジュンさん。両親の離婚、中学生で自活……と幼少時から厳しい現実と向き合ってきましたが、「どんな経験も幸せに生きる武器になる」と笑います。今の朗らかな笑顔に至るまでの生き様とは?

腹が立ってもけんかしない、
子ども心に得た教訓

誰しも生きていれば、腹が立つことや許せないこと、不条理なことがいっぱい起こるものです。そういう出来事に直面したとき、私は一呼吸置いて、闘わない、立ち向かわない。怒りの感情はグッと飲み込んで、家に持ち帰るタイプです。

昔から口げんかってほとんどしたことがありません。兄ときょうだいげんかをした記憶もない。言いたいことを人に言うのはすごくドキドキしちゃって、けんかができないんですね。たぶん子どもの頃に、親がけんかしているのを一歩引いて見ていた自分がいて、闘わないことを選んだのだと思います。幼い頃のこと、両親のことは、また追ってお話ししますね。

ため込んだ怒りや恨みを
解消してくれるのは「家事」

怒りや恨みを口に出さず、人に当たらず、自分の中にため込んだ感情は、自分で解消していくしかありません。そのとき、とてもいい材料になるのが実は家事仕事なんです。

私はどんなに忙しくても、むしゃくしゃしていても、さっと掃除して、ごはんを作ります。子育てをしていたときはもちろん、娘と息子が独立して一人になった今も、それは変わりません。掃除でも料理でも、やればちゃんと結果が出るし、集中しているうちに冷静になって物事の見え方が変わってくる。頭の中の煩悩を振り払うには、単純作業がいいんです。だから私は憂鬱なとき、ひたすら汚れた鍋を磨き、部屋のすみっこを掃除します。それがすごく癒やしにつながっていますね。

昔は、例えば反抗期だった娘と衝突したときに、行き場のない怒りで目の前にあるお皿をバーンと割ったこともありました。けれど、とても虚しくて。結局、散らかしたものは全部、自分で片付けなくちゃいけない。だったら家事に集中する方がずっといいんです。

追い込まれた状況で、
思いがけない楽しみが見つかる

好きなものを自分で作って自分で食べることも、私の癒やしにつながっています。

初めて自炊をしたのは中学生のときです。

両親が離婚して、私は母に引き取られていたものの、生活力のなかった母と別れて、先に家を出て京都にいた2歳上の兄を頼りました。

親がいない、きょうだい二人きりの生活で、家事全般を自分でやらなきゃいけなくなったとき、思いがけず発見したのが料理の楽しさでした。

最初に作ったのは煮物。アパートの隣に住んでいる方の料理をのぞき見て、見よう見真似で作ってみるところから始まって、“ああ、こうすると味が整うんだ”と新しい発見をするのが楽しくて。中学を卒業してすぐ、ハンバーグを作るのにナツメグというスパイスに出合ったときは、お肉がこんなにいい香りになるんだと感激したものです。

食材を見つけること、手指を動かして調理すること、おいしく味わうこと。食いしん坊の私にとって食べることのプロセス全部が喜びで、今も幸せにつながっているんです。

中学生で自活せざるをえなかった環境を、人は苦労とか不幸と思うかもしれません。でも私自身は全然そうは思っていなかった。むしろ追い込まれた状況で、思いがけない楽しみを見つけていたんです。

当時は深く考えていなかったけれど、料理をすることは私の心のよりどころになっていました。どんな経験も宝に変えれば、幸せに生きるための武器になるんですよ。

自炊を覚えた数年後、私は芸能活動を始めることになって、自分ではままならない大人の事情に巻き込まれていきました。そうしたときも、幸せの武器を何かしら見つけて生きてきたと、振り返ると思いますね。

取材・文=五十嵐香奈 写真=鈴木宏 構成=長倉志乃

風吹 ジュン

ふぶき じゅん

 

1952(昭和27)年生まれ、富山県出身。74年歌手デビュー、翌75年「寺内貫太郎一家2」で女優デビュー。数々の映画、ドラマ、舞台で活躍。91年には「無能の人」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。代表作にドラマ 「前略おふくろ様」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」「半分、青い。」「やすらぎの刻~道」、映画「魂萌え!」「海街diary」など。

マイページに保存

\ この記事をみんなに伝えよう /