夫の不倫、まさかの離婚…60代からの私の恋愛観
2023.12.122023年09月14日
【シリーズ|彼女の生き様】風吹ジュン#2
芸能界「自分」を見失わない決断、樹木希林さんの助言
たとえ無一文になっても自分を守るべきときがある。 自分を大切にすることは闘いです。
上京し、芸能界デビュー、
商品「風吹ジュン」を生きながら
私は中学を卒業してから、18歳で上京し、20歳のときに芸能活動を始めました。
歌手としてデビューしてからは、たくさんの大人にまわりを取り囲まれ、移動す るにも食事をするにも必ず誰かがついている状態。大きな波に飲み込まれるように、自分で考えることも休むこともできないまま、風吹ジュンという商品が出来上がっていきました。
無理をして歌を歌い、着たくないものを着せられて、作られた自分を演じ続けることに耐えられなくなった私は、あるとき「辞めます」と宣言したんです。当時23歳。全部を失ってもいいという覚悟でした。
作られた自分から脱却することと引き換えに、私は身に覚えのない契約も含めて、すべての責任をとるために、無一文どころか借金を背負うことになりました。そんなときに、いろいろと言葉をかけてくださったのが樹木希林さんでした。
希林さんから教わった
「普通に生活すること」の大切さ
希林さんと出会ったのは、私が本格的にドラマに出演した第一作目「寺内貫太郎一家2」でした。
このドラマで希林さんをはじめ、大先輩の加藤治子さん、脚本家の向田邦子さん、演出家の久世光彦さんたちとご一緒できた経験がとても大きくて、私は“ここでなら生きていける”と思えたんです。女優という仕事を今日まで続けることができた原点のような出会いでした。
希林さんはすごく愛情があって、特に若者を気にかけ、不安をすくい取ってくれる人でした。まだ若かった私に対しても、大人になる上で必要なことをぶつけてくれていたんだと思います。
あるとき希林さんから「あなた、ちゃんと区役所とか行ってるの?」といきなり聞かれたことがありました。その場では「えっ?」と固まってしまったけれど、あとになって、社会の一員として普通に生活することの大切さを伝えたかったのだなと気付きました。
芸能人も普通の人と変わらない、特別じゃないという希林さんの姿勢は、ずっと一貫していましたから。
抗って、もがいて、
それでも自分を大切にする
すべてを失って無一文で再スタートしたときは、希林さんから紹介していただいた銀行の方にお金を借りて、ちゃんと借金を返すようにして、方々にお詫びをし、当時住んでいたマンションの大家さんに家賃を待ってもらうようにお願いして何とかしのぎました。
一度だけ、希林さんがぽろっと涙を流しながら「よくがんばったわね」と声をかけてくださったことがあるんです。一人で必死に生きていた私のことを、希林さんは本気で考え、本気で守ろうとしてくれていたと思います。
実は13歳で親がいなくなったときにもお金の苦労を経験していたんですが、そのときとは責任がまるで違って、自分が壊したものの大きさを痛感しました。でも作られたものを壊さないと自分を取り戻せなかったし、あのとき流されるわけにはいかなかった。抗ってもがいて、それでも自分を大切にしてよかったと思っています。
商品・風吹ジュンから、人間・風吹ジュンに立ち戻って、結婚をし、子どもも授かりました。でも、人生ってそんなに順風満帆とはいかないものですね。当時は、あんなことになるとは思ってもみませんでしたが……。
取材・文=五十嵐香奈 写真=鈴木宏 構成=長倉志乃
【シリーズ|彼女の生き様】
風吹ジュン《全5回》
風吹 ジュン
ふぶき じゅん
1952(昭和27)年生まれ、富山県出身。74年歌手デビュー、翌75年「寺内貫太郎一家2」で女優デビュー。数々の映画、ドラマ、舞台で活躍。91年には「無能の人」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。代表作にドラマ 「前略おふくろ様」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」「半分、青い。」「やすらぎの刻~道」、映画「魂萌え!」「海街diary」など。