かよわい女はドラマの中だけ…心と体をタフにする習慣
2023.09.142023年09月14日
【シリーズ|彼女の生き様】風吹ジュン#4
母と父との埋まらない距離…晩年に知った母の因果応報
人を裏切ったら、同じ形で自分に返ってくる。 やっぱり人間は因縁から逃れることはできないのです
母の過去と消えない後悔、
子を拒絶し続けた理由
私の父は昔、教師をしていました。記憶に残っているのは、よく私を連れて歩いてくれた優しい父の笑顔。幼い頃の写真を見ると、全部父が抱っこしているんです。いつも私を受け入れて、愛してくれる存在でした。
一方、母は厳しい人で、なぜか私や兄を拒絶していました。忘れられないのは、寒い日に、母のきものの袖口に手を入れようとすると、そのたびにバシッと叩かれたこと。どうして受け入れてくれないのか、ずっとわからずにいました。
ようやく母の事情が理解できたのは、20歳になったとき。二人きりの時間に、「実はね」と母がぽつりぽつりと語り出したんです。
母にはもともと子どもが二人いました。ところが父と出会ったことで、家族を捨てる決心をして家を飛び出した。そして生まれたのが兄と私でした。おそらく母は心の中で捨ててきた家族のことをずっと引きずって、深い苦しみを抱えていたのだと思います。私が成人したことでやっと胸の内を話せたのでしょうね。
裏切って、裏切られて、
人は因縁から逃れられない
父と結婚してからの母の苦悩は、今思えば、因果応報だったのかもしれません。
過去に人を裏切った経験を持つ人間は、次は自分が裏切られるんじゃないかと不安でたまらなくなるものです。母もそうでした。家にあまり寄り付かなくなった父のことを、「それでも帰ってくるはず」と信じることができず、どんどんネガティブな思考に走っていきました。顔を合わせればいさかいばかり。結局、8年近く険悪な状態が続き、母は裏切られることになりました。父が別の女性を選んで家を出ていったのです。
人を裏切ったら、同じ形で自分に返ってくる――やっぱり人間は因縁からは逃れられないのだと思わずにいられません。
両親が離婚したとき11歳だった私は「一緒に暮らそう」という父の誘いを断り、母を選びました。生活力のない母との暮らしは決して楽ではなく、私は13歳で否応なく自立の道を歩くことになるわけですが、その経験があって今の私があると思うから、後悔はしていません。
死化粧をして
穏やかな母の顔に“よかったね”と
母は晩年、認知症になりました。当時40代後半だった私はとても仕事が忙しく、症状が進んでいく母を見てあげられなくなり、最後は兄がいる京都の病院にお願いしました。
死に際には立ち会えず、やっと駆けつけたとき、氷で冷たくなっていた母に湯かんをすることになったんです。母の体にぬるま湯をかけて洗っていると、皮膚も表情も驚くほど柔らかくきれいになっていきました。
最後に死化粧をして穏やかな顔の母に、「苦しみから解放されて、ほんとによかったね」と語りかけました。死は決して悪いことではない。病の苦しみや長年にわたる苦悩からの解放でもあり、むしろありがたいものだと思えた時間でした。
一方、50年以上会っていなかった父とは、8年前に再会しました。母を見送り、私も年を重ねて、父に会ってみようという余裕ができたのです。92歳の父との再会は、思いのほか穏やかなものでした。その父も2年前に他界。葬式まで見届けることができました。
私は父も母も恨んだことはありません。そこに執着していたら前に進めなかったから、恨まず、とらわれずに生きてきました。これはきれいごとではなく、私の中では何もかも決着がついているのです。両親ともあの世に逝った今、自分の最期も見据えながら立ち止まらずに進んでいきたいです。
両親を看取り、いつの間にか4人の孫のおばあちゃんになりました。映画やドラマの仕事に恵まれながら、合間をぬって孫の世話をする今が一番楽しいかもしれません。
取材・文=五十嵐香奈 写真=鈴木宏 構成=長倉志乃
【シリーズ|彼女の生き様】
風吹ジュン《全5回》
風吹 ジュン
ふぶき じゅん
1952(昭和27)年生まれ、富山県出身。74年歌手デビュー、翌75年「寺内貫太郎一家2」で女優デビュー。数々の映画、ドラマ、舞台で活躍。91年には「無能の人」で日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。代表作にドラマ 「前略おふくろ様」「岸辺のアルバム」「阿修羅のごとく」「半分、青い。」「やすらぎの刻~道」、映画「魂萌え!」「海街diary」など。