南信州・民俗芸能 知らざあ言って聞かせやしょう
2024.03.12寂しい誕生日
6月23日は私の誕生日だったのですが、実に寂しい誕生日でした。
日付が変わって私の誕生日になった途端に、毎年長女からおめでとうの電話が必ずあるはずなのに、今年(2022年)に限ってないのです。長女は、毎年誕生日当日に届くようにプレゼントも手配してくれる子です。
忙しいのかな~ともやもやしていたら、同居の次女が、2階の自室から下りて来て、「お誕生日おめでとう~。でもごめん。今年はまだプレゼント買えてなくて。もう数日待ってね」それだけ言うと、また2階へ行ってしまいました。次女は毎年とても趣向を凝らしたサプライズのプレゼントを必ず用意してくれていました。
長女も次女も、子育てに家事に仕事に、とても忙しくしているのは知っていたので、今年は期待できないのかな、と思いながら、朝になり、私は出勤しました。
サプライズがあるに違いないと考える
そうして、一日の仕事を終えて、帰宅する道すがら、私の大好きなケーキ屋さんの前で立ち止まり、「自分でバースデーケーキを買って帰ろうかな?」と一瞬考えました。
でももしかしたら、朝から子供たちがノーリアクションなのは、サプライズで驚かせようと、今頃家で(隣に住んでいる長男とそのお嫁さんと孫たちも)息をひそめて私の帰りを待っているのかもしれない、と、本気でそう考えていたおめでたい私なのでした。
しかし、家に帰ったら真っ暗。次女は体調が悪いとかで寝込んでいました。当然ご飯の用意も何もないのです。
忙しかったり、体調が悪かったりしたら、それはもう仕方がないことなのです。それはわかっているのですが、とても悲しくなってしまいました。
「誕生日」=「何年生きてきた」だから誕生日が年々重いものになっている
今年私は68歳になりました。元気でいつも明るいお母さんにおめでとうと祝う気持ちがないの!? と、無性に悲しくなりました。
日付が変わる少し前に隣に住む長男がやって来て、「ごめん忘れてた。おめでとう!」「今度の土日にケーキでお祝いしようね」と言ってくれたのですが、「誕生日の当日じゃないと、意味がないからいらない」と感じ悪く言って、ドアを閉めてしまいました。
長男だけじゃなくてお嫁さんだっているじゃないの! 彼女の2月のお誕生日には、うんと考えてプレゼントをあげたのに! と私の怒りは収まりません。
反省しました
しかし、誕生日の翌日になって、だいぶ冷静になれました。
客観的に見て、私のこのキレ方は、ひがみや被害者意識に満ちあふれている、いかにも偏屈な年よりじみた感情のように思えます。
元気で誕生日を迎えた私を誰も褒めてくれない、なんて、文字にしたらほんとうに恥ずかしい。
子育て世代は忙殺されていて、おばあちゃんのお誕生日どころじゃないのね、とさらっと受け止められる心の広さを持ちたいな。お祝いしてほしかったら、「私は誕生日をちゃんとおめでとう! って祝って欲しいのよ!」ともっと自分からアピールすれば良い。
毎年何となくここまで落ち込むこともなく誕生日を迎えていたのはたまたまだったのだと、ケーキは来年からちゃんと自分で用意しようと、かたくかたく決意したのでした。
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