小池真理子さん|人生の伴侶を亡くして、今思うこと
2024.09.292022年02月21日
ちょっといいはなし
お転婆でおちゃめな義母が100歳になりました(前)
義母はこの2月に100歳になりました。大正11年関東大震災の前年に生まれ、3男1女に恵まれましたが、40代で夫と死別。その後独り身で令和まで生き抜いてきました。お洒落でお転婆で、好奇心旺盛な義母のエピソードをご紹介したいと思います。
100歳の壁
義母は過去に一度も大病をしたことがないそうです。昔の女性のたしなみとして、入院するときに備えて新品の寝巻を3着用意していましたが、結局使わずじまいでした。
生まれて初めて高熱を出したのは、92歳のときにかかったインフルエンザ。丈夫で元気でしたが、さすがに去年(2021年)はあちこちに不具合が出て短期入院も経験しました。
「100歳の壁」は果てしなく高い! と思いましたが、無事100歳を迎えることができました。
義母の人生
義母は福島の庄屋の次女として生まれました。最初の婚約者は戦死してしまい、従兄弟と結婚し、3男1女に恵まれました。戦後、義父は東京で工場を経営しますが、48歳で病死してしまいます。そのとき義母は43歳。末っ子である夫はまだ中学生でした。
多難な人生の中、持ち前の明るさと気丈さで再婚もせず、自分の信念に従ってまっすぐに生きてきました。91歳のとき、なにくれとなく面倒を見てくれていた義姉が病気で亡くなり、それを機に現在の老人ホームに入居しました。それ以来、唯一の嫁である私との関りが多くなりました。
義母ってどんな人?
一言で言うと、働き者で、何でも自分のことは自分でやろうとするしっかり者です。
今でこそほとんどをベッドの上で過ごしていますが、それまではきれい好きで、片づけ上手。昔の人には珍しく思い切りよく物を捨てられる人でした。また、何でも自分のことは自分でやろうとして、お転婆を発揮してヒヤヒヤさせられることもありました。
例えば、背が届かないところの物を取ろうとして椅子ごとひっくり返ってしまうこともあり、生傷が絶えませんでした。
ある時、義母が額に青あざと大きなタンコブを作り、壁掛け時計を抱えてホームの事務室に現れて大騒ぎになりました。
早速、夫と訪問し義母に事情を聞くと「時計が遅れているようなので、事務所で見てもらおうと思った」ということでした。時計はベッドの上にあり、義母がベッドから時計を持ったまま頭から落ちたことは明白でした。
夫に「大けがしたらどうする」と大目玉をくらうと、義母は、ちょろっと舌をだし「でも、時計は無事だったわ」とにっこり笑いました。
それから義母の部屋の高い所にあるものはすべて下ろされ、乗りそうな椅子などは撤去されました。それでも、絶対に手が届かないところにある物が、いつのまにか動いている不思議なことは起こり続けました。
次回は、義母に学んだ「長寿の秘訣」をご披露したいと思います。
(つづく)
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