【60代おしゃれ】「大人のおしゃれの作り方」
2024.09.25![心洗われ心のままに!玉置妙憂さん新春講演会(後)](https://halmek.co.jp/media/article/image/c9744868414e680ca088f76f4c66d83a.jpg)
公開日:2025年01月29日
ハルメク アップ
心洗われ心のままに!玉置妙憂さん新春講演会(後)
雑誌「ハルメク」で連載中「コトノハメクリ」玉置妙憂さんの講演会。あれ? 普通の人? 私とは何が違う? お話されたのは、語りつくせないことは一旦横に置く。勝手な想像で判断せず自分で感じたものだけ信じる。「うけたもう」で一旦受け入れてから考える。慈悲の瞑想もある、後編です。
「私らしく」ってなんでしょう?
人はよく「私らしく生きたい」とか「最期まで自分らしくいたい」と言います。
では一体「私」って何ですか?「どこからどこまでが私ですか?」と問われると……。
妙憂さんは認知症の方のご家族から「お父さんが認知症になって、お父さんらしくなくなってしまった。お父さんが壊れてしまった」と話を聞くことがあるそうです。
本当にお父さんは壊れて、お父さんではなくなってしまったのでしょうか?
「そうではなく、お父さんは家族が思うあらまほしき姿でなくなっただけで、そんなお父さんを認められないだけでしょう、でも寝たきりでもお父さんはお父さん、何も変わっていないのです」と指摘されます。
「私らしく」ということが呪(しゅ)になれば、周りが変わっても何一つ変えてはいけなくなり、それはそれは苦しくなるのです。
全てのものは諸行無常でどんどん変わっていくのだから、「私」を変えていけばいいのだそうです。何だか楽に生きるコツを教わった気がしました。
全てのものは、縁って起こる(よっておこる)。うけたもう
全てのものは、縁って起こる(よっておこる)。縁起でつながっているので、突然何もないところに降ってわくことではない、必ず「よっておこる」のだそうです。
上手くいかないことがあっても全ては自分が作っていること、だからこそ逃げ腰の思考回路を一度断ち切り、「うけたもう」の精神で一旦受け入れてみると良いそうです。
「うけたもう」は神道の修験者たちが無言で修行中に、唯一発することができる言葉。妙憂さんが神道の山行に参加した時に学んだ言葉です。
山を駆け巡り、足に豆ができたから嫌だな、やめたいなと思えば、それに支配されてしまいますが、一旦「うけたもう」と受け入れてしまえば、立ち位置が変わって前向きになれるということ。
例えば、人間関係が上手くいかない→うけたもう、一度腹に落とすと地に足をつけてちゃんと向き合うことができるようになる、そうすれば前に一歩踏み出せる、深いです。
所詮全部自分が作っていることだから一旦「うけたもう」。そうすれば自ずと道が開けるようになる。
凡人の私にはとても難しいことですが、考えても見なかった選択肢が一つ増えたような気がしました。
おしまいに
玉置妙憂さんのコトノハメクリを読んだり、ハルメク アップのラジオ(音声番組)で聞いたりしていましたが、ご本人が実際にお話しになる講演会の参加は初めてでした。
何か参考になることがあれば書き留めようと、軽い気持ちで持って行ったノートに、気付いたら私は夢中になって書き込んでいました。
なので、ほとんど妙憂さんのお顔は見ていなかった気がします。そこはちょっと残念ですが、それくらいキラキラ輝く心に留めておきたい言葉をたくさんいただきました。
本当に腱鞘炎になりそうなくらい書き散らす、というか書きなぐると言うか……。それでも書ききれなかったことは、もう一度ハルメク アップのラジオや動画で復習しようと思います。
とても分かりやすく、私でもすぐに自分の中に取り込めそうな言葉の数々を聞かせていただきました。
そして最後には、10分ほどの「慈悲の瞑想」の時間がありました。
会場のみなさんと唱和して、瞑想しました。本当に心が洗われたような気がしました。
行って良かったです。ありがとうございました。
(おわり)
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