ふるさとを旅する
お正月の思い出
お正月の思い出
公開日:2024年01月06日
お正月の「天神様」
皆さんは、お正月は床の間のしつらえをどのようにしますか? 朝日や富士山を描いたおめでたい掛け軸を掛けますか?
広島に住むようになって、ふるさと富山の習慣と違うことに気づきました。
ふるさとでは、「学問の神様」の菅原道真こと天神様の掛け軸をかけ、お鏡餅や御膳などを並べます。跡取り息子が生まれると、母方の実家から天神様の掛け軸が贈られるので、大抵の家では2〜3本の天神様が掛けられます。
私の家では祖父と父の天神様が掛けられていました。私が男の子だったら3本並んだはずです。
母を引き取った時、その荷の中にあった父の「天神様」
私は、その「天神様」を一年中掛けています
でも、なぜ「天神様」なのか、よくわからないままでした。
昨秋、歴史好きなふるさとの友人が仕事で広島にやってきたので、小一時間ほどバスセンターで会っておしゃべりしました。その機会に、友人になぜ「天神様」なのかを尋ねてみました。
友人いわく、富山は加賀藩の行政区で、藩主前田家は菅原道真の子孫と言われているからとのこと。家紋は、同族は皆「梅鉢紋」系統。花芯部分が少しずつ異なります。加賀(石川県)・越中(富山県)・信州(長野県)の一部・越前(福井県)と若狭(福井県)の一部で天神様信仰が強いのだとか。
なかでも私のふるさとである富山県の西部では、天神様信仰が強いのだそうです。
ところが、近年はこの習慣も変わってきているようです。若い世代では床の間のない家が増えており、また、天神様は3本もいらない、ということのようです。
流行りは、井波彫刻の天神様だとか。私のいとこも友人も井波で天神様を買い求めています。作家の名前で値段の差が大きくつくのだそうです。
孫の天神様は井波の木彫刻にしたと言っていました
お雑煮
子どもの頃、「お雑煮=ぜんざい」と思っていました。それがどうも違うらしい、と友人との会話中に気づいたのは中学生の頃だったと思います。
母に尋ねてみたら、元日は父の祖父母か曽祖父母かの誰かの月命日なので、魚や肉は食べないとのこと。でも、その翌日もまたその翌日も「本物」の雑煮を食べたことがなかったのです。
松の内が過ぎた頃、母がこっそり作ってくれたのが、鶏肉と根菜類が入った清汁の雑煮でした。
福を「かき」寄せるとか。右は我が家の雑煮
雑煮も白味噌仕立や赤味噌仕立など、地方によっては具材もいろいろ異なるようです。餅自体も角餅と丸餅、はたまたあん餅と「ところ変われば」で主役の餅も変わって、興味が尽きません。
「あん餅雑煮」もあるようで、試してみたいです
羽根つき
幼稚園児か小学1年生の頃、雑誌で見た絵が気になって仕方がありませんでした。正月遊びで子どもたちが綺麗な着物を着て羽根つきをしている絵です。
雪国ですから、私たちの正月遊びは室内では「双六」「福笑い」、屋外では「雪だるま作り」「そり」ぐらいでした。
防火水槽として大きなコンクリート造りの土管がなん軒かおきに隣家の間に設置されていました
子どものたちの雪遊びに最適でした。手前が私
小学3〜4年生になって、日本海側と太平洋側の気候の違いが分かり、ようやく絵に書かれていた正月遊びが理解できるようになりました。もう70年以上前の、懐かしい思い出です。
■もっと知りたい■




