八十路を歩く(13)

友あり遠方より来たる、また楽しからずや

公開日:2023.09.21

子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有(あ)り遠方より来(き)たる、亦た楽しからずや。論語に出てくる有名な一節です。

学びて時にこれを習う

2016年(平成28年)4月に立ち上げた町内の「健康麻雀会」。私は相変わらず皆さんの「カモ」ですが、先日「大三元」を成し遂げました。下手でも時にはこんなハプニングがあるのです。

2019年(令和元年)11月に立ち上げた「地域カレッジ」。ここで得た知識も、右の耳から左の耳、という場合が多いのですが……。

学びて時にこれを習う

今夏もあちこちで「線状降水帯」が発生し、大きな災害を引き起こしました。

今や定着した言葉になっていますが、この言葉が出始めの頃、地域カレッジで区役所の出前講座を開催し、線状降水帯について学びました(「線状降水帯とは?豪雨災害の怖さを知ろう」2022.04.23)。

今夏、その時の資料を引っ張り出して復習しました。

新しいことを知るのは喜びではありますが、年年歳歳キャパシティが小さくなるせいか、なかなか覚えられず、「あれ・それ」の世界が広がりつつあります。

友、遠方より来たる

広島市は中国地方では最初の政令都市で、大会社の支店が多いとか。それゆえか、「支店都市」とも呼ばれています。

また、日本三景の一つ「宮島」と核被爆の悲惨さを伝える「原爆ドーム」が世界遺産に指定されていまます。

友、遠方より来たる
「原爆ドーム」(元・産業会館)のビフォーアフター

たまに故郷の友人から、「お久しぶり、今度広島に行くので会える?」と連絡が入ります。もちろん、喜んで会います。

思い出してみると、今まで数回、高校の同窓生と広島でおしゃべりを楽しんだことがあります。友人たちは初めからお国訛りのお国言葉、私は広島弁風の標準語もどき。

「さよなら、またね」という頃には、私もお国訛りのお国言葉になっていて、「また、あわんまいけ」(また会いましょう)でお開きです。

友、遠方より来たる
「原爆死没者慰霊碑」
丹下健三さんの設計、「平和の灯」「ドーム」を一直線上に望みます
友、遠方より来たる
「平和の池」
熱い熱いと逃げまどって川に身を投げた人たちを慰めています

A子さんが宮島から、「今、宮島に来とんが、あしたは平和公園ながやちゃ」と電話をくれたこともありました。マイクロバスでの12名の観光ツアーで、再従姉妹のB子さんと一緒でした。私はB子さんとは小・中の同級生だから顔見知り。

添乗員さんだけでガイドさん無しというので、自由時間という平和記念公園散策に付き合うことにしました。添乗員さんには自己紹介をし、友人には「ガイドしてあげるよ」と。同級生2人と思いきや、ツアー客の数人も一緒に行動。

友、遠方より来たる

まず出向いたのは「平和の鐘」。これは我らが故郷の会社が製造した釣鐘で、皆で一打ずつ鐘をつきました。その後、原爆ドーム・折り鶴の像・慰霊碑など定番名所を巡って原爆資料館へ。

友、遠方より来たる
「原爆の子の像」(折り鶴の像)
被爆した少女が病気平癒の願い込めて鶴を折り続けた話に端を発して、
日本中のみならず世界からも千羽鶴が届けられているそうです

ガイドしてあげる、と張り切って言ったものの、今思うと反省しきりです。冷や汗タラーリです。

C君・D君・E君とも、支店都市広島に来広した際に旧交を温めました。今でしたら、ネットの世界で遠距離会議もできますが、コロナ禍のずっと前のことです。

F子ちゃんが仕事の研修大会で広島に来たこともありました。大会の会場が平和公園内の国際会議場でしたので、会場の確認と宿泊ホテルへの道順確認を兼ねて、F子ちゃんとその友人G子さんを、図々しく素人ガイドで同じコースを案内しました。

ふるさとのなつかしい話を聞きながらおしゃべりに花が咲き、「よろこばしからずや・愉しからずや」のひと時でした。 

同級生たちもまだまだ元気に活躍している人が多いので、そのパワーをもらって、私も負けないように元気でいたいものです。

■もっと知りたい■

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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