通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第3期第4回

エッセー作品「丸い卓袱台」野田佳子さん

公開日:2022.03.04

「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。野田佳子さんの作品「丸い卓袱台」と青木さんの講評です。

「丸い卓袱台」
エッセー作品「丸い卓袱台」野田佳子さん

丸い卓袱台

粉を練るのは父の仕事だった。
強力粉に少しずつ水と油を加え、しっかり練り上げ、ねかせてギョーザの生地を作る。
私たち三姉妹は父の手元をじっと見つめる。
ねかせ終わった生地を小さくちぎり、丸く薄く伸ばすのは私たちの仕事。
擂粉木(すりこぎ)や味噌漉しの棒などを代用して3本の伸し棒が揃っていた。
伸し板は卓袱台の上に紙を敷いて代用した。

昭和30年代、私が少女だった頃の茶の間の光景である。

練り上げた生地を伸ばすのもなかなか難しく、小さかったり大きかったり、厚すぎたり薄すぎて破れたり。
そのうちに遊び心が出て来て三角や四角、円盤型、と様々なものができ上った。楽しかった。
最後に具を詰めて口を閉じ、粉をふったバットに並べて台所へ運ぶ。
そこで大鍋にお湯をたぎらせて待っている母が茹でてくれる。
変型ギョーザは茹でる時に破れるなど、トラブルを起こした。
満州で生活した両親は、焼ギョーザではなく、水ギョーザを好んで作った。

母が茹でている間に、作業台だった丸い卓袱台は食卓へと早変わり。
お茶碗、小鉢、箸、ポン酢ならぬ酢醤油が並ぶ。
「ホラホラ出来たよー!熱いうちに早くおあがり!」と、母が茹で上ったギョーザを次次に運んで来る。
私たちはまるで口を開けて待っている燕の雛のように片端から平らげていった。
今思えば母も一緒に食べたかっただろうに。
しかし昔の主婦を絵に描いたような母は、いつも夫と子供を優先させた。
美味しかった。
5人家族に100個以上作っていたから、少なくとも1人20個は食べている。
何回作っても美味しく腹一杯になり、皆このギョーザが大好きだった。
おそらく家族揃っての作業の楽しさがホカホカギョーザの満足度を増したのだと、しみじみ思う。

結婚した当初、こんな茶の間を再現したかった。
家族皆でワイワイガヤガヤと1つの目的に向かって行動する。旅行やショッピングなど特別なことではなく、日常生活の中にこそ、そんな光景があるべきだと。
しかしそれは遂に実現しなかった。
時代が違うのだ。
父が率先して夕食作りに関わったのは、父自身が食べたかったからだ。まだまだ社会全体が食に対して貪欲だった。

時代は移り生活のスタイルも変化した。家を守る主婦から、外でも活躍する妻になったことに伴い、様々なことがかわった。
昔の茶の間はあくまで思い出である。
私は私の生活の中で家族の喜びを追求して来た。それでいい。それでいいと思う。

 

青木奈緖さんからひとこと

テンポよく、とてもイキのいい作品です。一気に最後までお書きになったのではないかと思われます。

家族全員で水餃子をつくって食べた思い出は、著者にとってはもちろん、これを読む誰にとっても幸せのひとこまです。

愛情というのは形がなく、つかみどころのないものですが、自分の空腹を抑えて子どもたちに熱々を食べさせてくれたお母様の行為は愛情そのもので、そこに気付くのは往々にして大人になってからです。

今の子どもたちが、将来、年を重ねたとき、何ものにも変えがたい幸せの記憶というのは何なのでしょう。
何でもいいから、日常のひとこまを心にとどめてほしいと願っています。

完成度が高く、とても共感を覚える作品でした。

 

ハルメクの通信制エッセー講座とは?

全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。

次回の参加者の募集は、2022年7月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始します。

募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。

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ハルメクならではのオリジナルイベントを企画・運営している部署、文化事業課。スタッフが日々面白いイベント作りのために奔走しています。人気イベント「あなたと歌うコンサート」や「たてもの散歩」など、年に約200本のイベントを開催。皆さんと会ってお話できるのを楽しみにしています♪

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