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- エッセー作品「胡桃のひみつ」暉納津美さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。暉納津美さんの作品「胡桃のひみつ」と青木さんの講評です。
胡桃のひみつ
今年の夏は蝉が多いような。
思い返すと、青空に湧く入道雲を眺めた日、教室の窓から陽炎を見ていた日、宵の熱に包まれ、部活から帰った日、どの夏の日も蝉の声が一緒であった。
あれはいつの夏か。暑いホームで父母、妹と特急を待った。私の母方の祖母の家に出発である。
旅のお供、冷凍ミカンを抱き、ガタンゴトンと特急が奏でる音に心が踊る。
程なく祖母の家、潮の香と鉱山で栄えた街特有の銅の匂いが体を覆う。
祖母の家は、濃緑の森の向かいに建つ。森の縁、正に家の前を戦前から戦後まで、人や銅等を乗せた列車が走ったというが、昭和40年代、既にその面影は無かった。
蝉の声が響く中、祖母はお勝手で待っていた。私達姉妹は、挨拶も早々に縁側に転がり、蝉に負けじと大声で祖母と話し、しゃくしゃくと西瓜を頬張った。熱射の中、重いそれを八百屋さんから大事に抱えて歩いた小さな背中を想うと切ない。
しかし、「挨拶も早々に」とは。今更だが「おばあちゃん、こんにちは」。
夕餉は、豆のお味噌汁にツヤツヤのご飯、祖母お手製のおかず達である。
食前、祖母は納戸からこっそり小瓶を取り出し、中身を1粒、私の口に運んだ。
初めて食べる胡桃の醤油漬け。小粒のそれはしょっぱく甘かった。濃い味付けは、保存を要した暮らしの知恵であったろう。
東北に生まれ、大正、昭和を生き抜いた祖母が、森の恵みを大切にした証である。
瓶が揺れ、琥珀色の漬汁に胡桃はゆっくり沈んだ。
蝉の声に包まれ、祖母は1人、毎年どんな思いで胡桃を漬けていたのか。祖父は既に彼方へと旅立っていた。
翌日はかき氷から始まる。「孫らにシロップ沢山」、氷屋さんで祖母は笑った。
銭湯では、「孫、孫」と自慢。私達姉妹は気恥ずかしくてもぞもぞ。
その日の夕餉は鮪のお刺身、野菜の煮物、そして、バタークリームケーキであった。
夏生まれの私と妹への誕生祝いである。謎の甘い物体、蕗と桜桃の砂糖漬けが飾られていた。
魚屋さんに注文してくれたお刺身、年季の入ったまな板の上でトントンと刻み、クツクツと煮込んだ野菜、街に降りて手に入れてくれたケーキが並び、祖母の東北訛りの昔語りに皆で笑った。
普段は祖母1人きりの食卓が華やいだ夜。
賑やかな食卓の傍ら、風鈴が小さくチリンと揺れ、漆黒の森からカナカナという声が響いた。
最期は私を「やさしいお姉さん」と、か細くも優しく呼んだ祖母。
かつて「親友と呼べるのは何十年生きても1人か2人」と諭したのも祖母であった。
鳴いているのは7日目の蝉か。
あの夏は戻らない。しかし、祖母は私の中で確実に息づいている。
去りゆく夏と近づく秋の気配の中、蝉の声にその姿が浮かぶ。
ただ1つ謎が。
両親含め親戚は、あの胡桃の醤油漬けを食べたことも見たこともないと言う。
夏が隠した、2人だけの胡桃のひみつ。
旅立って20数年、あの一瞬のひみつを今でもそっと守っている祖母なのである。
青木奈緖さんからひとこと
お祖母様と過ごした遠い夏の日を回想する、詩的な印象のエッセーです。
ストーリーとして特に劇的なことが起きるわけでもなく、胡桃の醤油漬けのひみつと、すべてを包み込む蝉の声で作品が成り立っています。作品の世界が緻密に構築されているからこそ、その世界に読者が入り込み、共に楽しむことができるのでしょう。
このような雰囲気、世界観を読ませる作品を書くときは、著者がひとりよがりにならないように、読者目線で楽しめる世界をつくり出せるかどうかにかかっているように感じます。素晴らしい成功例です。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。
現在第3期の講座開講中です。次回第4期の参加者の募集は、2022年1月に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始します。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから
■エッセー作品一覧■
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