【シリーズ|彼女の生き様】綾戸智恵#2

40歳の遅咲きデビュー…それでも本業は母親で主婦

40歳の遅咲きデビュー…それでも本業は母親で主婦

公開日:2023年10月28日

40歳の遅咲きデビュー…それでも本業は母親で主婦

プレッシャーはありますよ。 怖いし、緊張もするし。 必死でしたね。 でも、がんばらな

写真=事務所提供

40歳のデビュー、家族3人生きるために

33歳で帰国した後は、家族3人食べていくために、英語や歌を教えたり、給食のおばちゃんをしたり、そりゃもういろんな仕事をしました。声が掛かればライブハウスで歌ったりもしてね。

ライブハウスで歌うと、“チーボー(当時の通称)が出るとお客さんが喜ぶわ”ってオーナーにもかわいがってもらってました。それでも当時は歌一本でやっていけるなんて思ってもいませんでした。

それがある日、野外のイベントで歌ったら、偉い人に“すごいね、うまいね”ってたくさん言われてね。「歌いませんか」というお誘いを受けて、CDデビューしたのが40歳のとき。

40代はあっちへこっちへと連れられるように全国を回って、たくさんライブやら仕事をしました。仕事先に行ったら、テレビや新聞で見たことのある人がいっぱいいてね。「握手してください」と向こうから言われたときは、びっくりしました。へー、面白いなぁと、新しい学校に入ったみたいでした。

あの頃、私自身は別に「すごく歌いたい!」と思っていたわけではないんです。「やりませんか」と誘ってもらって「ギャラももらえてええな、ほんならやってみようか」――そんな感じでした。

当時は息子が7歳くらいで、“お母さん”をしていましたから。お母さんであることを手放してまで、歌の仕事をやる気はなかったんです。だから、会社の社長にもはっきり言ってました。「子どもがおるねんで。絶対に“家中心”でないと歌わんで。今の暮らしを崩さないのが条件や」と。契約書を交わすこともしませんでした。契約をして自由を奪われたら、親の死に目にも会われへん、そんなふうに思っていたんです。笑えるでしょう?

しばらくは神戸で暮らしながら、全国各地の公演に出向いていました。あんなに新幹線に乗ったのは人生で初めて。夜行バスもよく使いました。夜遅くバスに乗ったら、早朝には神戸に着くでしょ。そうしたら息子に会えるし、幼稚園のお弁当もつくってあげられるからね。

そういう生活を続けているうちに、オーチャードホールのコンサートでアンコールの拍手を浴びて、追加公演が決まって、紅白歌合戦にも呼ばれたりして、ああ、これはすごいことになったんかな、と。

写真=事務所提供

「綾戸は、家族を大事にすると歌うんだよ」

――1999年、弾き語りや自身のアレンジを盛り込んだ3枚目のアルバム「Life」が大ヒット。2003年の紅白歌合戦で披露した「テネシーワルツ」は大反響を呼びました。

社長から「そろそろ東京に来てもいいんじゃないか」と言われたんですが、私はまだ怖くてね。“芸能界”、“東京”、そりゃ怖いですわ。

「息子と母を連れて東京で途方に暮れることにでもなったら、どうするんや。もしあかんかったら、あんたの家と田畑を全部売ってでも、私たちの面倒をみる気はあるのか」と、社長に詰め寄りました。そしたら「ある、大丈夫だ」と。そこまで保証してくれるんやったらということで、家族3人、神戸から東京に引っ越してきたんです。

実際、社長にはよくしてもらいました。「綾戸は、息子とお母さんを大事にすると歌うんだよ」と言ってね。スタッフもみんな、息子と母を大切にしてくれました。地方ツアーに行くときは、カルガモみたいに家族連れで行ってね。スタッフは駅前のホテル、私らは車で1時間ほど離れた温泉へ、なんてこともありました。いろんなところに行けて、母も喜んでいました。

そこまでしてもらうのだから、そりゃ、がんばって歌わないと。そうなりますよね。そりゃあ努力しました。お客さんも、いいお客さんが多くてね。忙しい中、わざわざお金を出してきてくれるんやから、こちらには責任があります。「今日はあかんかったわ」ではすまされない。

プレッシャーはありますよ。怖いし、緊張もするし、必死でしたね。でも、がんばらな。ただその気持ちだけでステージに向かっていました。

努力は、自分一人ではできないもの

とはいえ、いつもオロオロしていたこともありました。インタビューなどで「この音楽のメッセージは?」なんて聞かれたらどうしよう、と(笑)。私は「メッセージ?なんやそれ」という感じなんですわ。“アーティスト”と言われたときは、「えっ、誰が!?」と聞き返したこともありました。

私は音楽家というより、“音楽屋さん”。お豆腐屋さんも八百屋さんも、お客さんに「おいしいね」と喜んでもらって、お駄賃をもらうでしょ。私も同じです。お客さんに「あんたの歌を聞くと楽しい、うれしくなる」と言ってもらえたら、それでもう十分。「音楽とは……」なんて小難しい理屈やこだわりは一切ないんです。

私が歌った目の前で、ワー、パチパチと喜んで手を叩いてくれているお客さんを見たら、自然と「がんばろう!」という気になります。その積み重ねで今があると思っています。

努力いうもんは、自分ひとりではでけへんもんです。

一緒にいる人、共に歩く人がそれをさせてくれる。お客さんも、友達も、家族もそう。月末に給料が入ったら、三越で母に何かええもん買うてあげられると思うと、すごいがんばれるんです。どんなに疲れていても、いやなことがあってもがんばれるのは、そういう人たちがいるおかげやと思っています。

テレビや雑誌などメディアにたくさん出演し始めると、周囲からいろいろ言われることが増えていきました。ええことも、悪いこともね。でもそんな“世間様のおかげ”で、今の私がいる――、幼い頃からの母の教えが、このときも私を支えてくれました。

取材・文=佐田節子 写真=中西裕人 ヘアメイク=赤間直幸(Koa Hole inc.) 構成=長倉志乃(ハルメクWEB)

撮影協力:カフェレストランShu(http://cafe-shu.com/

【シリーズ|彼女の生き様】 綾戸智恵《全5回》

  1. "死んだらあかん"を守り続けて――64歳の独り立ち
  2. 40歳の遅咲きデビュー…それでも本業は母親で主婦
  3. 努力も経験も苦難もすべて「世間様のおかげ」
  4. 母の介護で教わった「頼ること」も「がんばること」
  5. 66歳、生き尽くして、灰になる準備をしていきたい

綾戸 智恵

あやど ちえ

1957(昭和32)、大阪府生まれ。ジャズシンガー。17歳で単身渡米、91年帰国。98年、40歳のと きにアルバム「For All We Know」でデビュー。2003年に紅白歌合戦に初出場し「テネシー・ワルツ」が話題になる。笑いあふれるトークと個性的なステージで、ジャズファンのみならず多くの老若男女を魅了し続けている。最新アルバムは「Hana Uta」。24年1月30日、東京すみだトリフォニーホールでLIVE決定。https://www.chie-ayado.com/

HALMEK up編集部
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