“死んだらあかん”を守り続けて――64歳の独り立ち
2023.10.282023年10月28日
【シリーズ|彼女の生き様】綾戸智恵#5
66歳、生き尽くして、灰になる準備をしていきたい
「50歳にしか見えないですね」 と言われるより、 「さすが70歳」と言われるようになりたい。 そういう70歳がくるように、がんばっています
写真=事務所提供
母との約束を果たせた気がして、
涙がこぼれた日
私ね、母を見送ってから長いこと、泣けなかったんです。
それが1年後、アルバム「Hana Uta」(2022年)のレコーディングで「Heritage(ヘリテージ)」という曲を歌い終わったとき、突然、涙が出てきたんです。
この曲は1stアルバム「For All We Know」の中で歌ったんですが、ジャズのスタンダードではなくてデューク・エリントンのミュージカルの中の1曲で、そう!珍味とでも言うか、そんな曲。家族を歌った大好きな曲なんです。26年前のレコーディングでは、大先輩のトリオにうまく説明できず、思ったように歌えませんでした。もう一度歌いたかったんです。
今回ブースで歌い終えた後、「OKでーす」という声が聞こえてミキサールームに行こうと思ったら、「ん?なんや」。手の甲にぽろっと涙が落ちてきたんです。泣いたというより、涙が自然と出てきた、3滴ほど。びっくりすると同時に、「あーよかった、歌えてよかった」と思いました。
なかなか褒めない鬼プロデューサーも、「いい っすねー」と言ってくれてね。うれしかったわ。66歳になって、やっと歌えた。ここまで生き延びて、ちょっとはマシになったんやな、と思いました。
母のことを思い出して歌ったんです。「なすべきことをやらないかん。子どもを大きぃすること、お友達を大事にすること、いろいろなすべきことをせなあかん。そしたら、いつかは“なる”」と、母が言ってたんです。今日、やっとここまで来たんかなと思って、うれしくてぽろっと流れたんやと思います。
コロナ禍の2022年にリリースした最新アルバム「Hana Uta」。
母からの突然の告白。
育ててくれた両親への思い
そういえば、母が亡くなる前に「本当のお父さんがおるんや」と母から言われたんです。認知症になってたから、映画か何かとごちゃごちゃになってるのかなと思いましたが、どうも本当のことみたいで、びっくりしました。
名前を聞いたけど「知らん、忘れた」。もう1回聞き直してみたら「ごめん」と言うたから、あんまり聞いてほしくないんだな、と。「もうええねん、ええねん、気にせんでええねんよ」と伝えて、それ以上は聞きませんでした。ずっと重たい荷物みたいに抱えてたんやろうね。
いろいろ探して、本当の父が誰かわかりました。もう亡くなってましたけどね。母の女性としてのサガと父親の男性としてのサガを理解してなかったら、責めてたかもしれないけれど、そのときは私も50歳を過ぎていましたから。母には母の人生がある、母の若いとき、私を生む寸前までの話や、と腑に落ちたんでしょうね。
うちの家が他の家と違うことは、子どもの頃から気付いていたんです。父親(養父)は母より30歳年上で髪が白く、友達のお父さんは毎日家に帰って来るのに、うちは月に2回くらいしか帰ってこない。親戚付き合いも、お墓参りもなかった。子どもながらに変だなとは思ってたんです。
それでも、育ての父は本当によくしてくれたし、私も「お父ちゃん、お父ちゃん」と慕ってました。顔も背丈も母より養父に似てましたよ(笑)。いい両親でした。母には「よう、次のお父さん見つけてくれたな」と心の中で言いました。
生き尽くして、最期に灰になる
準備をしていきたい
――現在は、都心から離れた自然豊かな地に暮らし、料理や農作業など日常生活を送りながら、音楽活動を続けている綾戸さん。自宅から発信するYouTubeでの弾き語りなど、新しい取り組みも積極的に行っています。
60歳のときにね、キャベツをたくさん買って電車に乗ったら、女の子が「どうぞ」と席を譲ってくれたことがあるんです。日本も捨てたもんちゃうなと思うと同時に、ああ“見てくれ”がそうなってきたんやな、それに適した人生を通らんといかんな、と思いました。
還暦というのは、「60歳でっせ、そろそろ気ぃ付けとかなあきませんよ」という“ほのかな伝言”やないかと思っています。60になったら、次は70。人として最後に灰になる準備はせないかんよ、と。そういう変化を暗に教えてくれてるように思うんです。
今66歳ですが、そういう気持ちでこれからの一年一年を迎えていきたいですね。「ちゃんとした67歳や、成長しはったね」と言われるように。
子どもの頃はあんなに似合わなかった着物も、最近しっくりしてきました。母の大島紬のきものが似合うんですよ。以前はいくら着物がよくても、着こなすところまできてなかったんですね、自分自身が。この年になって母の大島紬が似合うようになり、うれしいです。
コロナ禍で家にいる時間が増えて、三味線を始めたんです。家でぽろんぽろんと弾いています。これがまた楽しい。
ライブや仕事ができない時期に、事務所のスタッフがやってみましょう!って言うから、YouTubeやインスタグラムも始めてみました。これもまたなかなか面白いもんです。
そうやって、何歳になっても、今できる楽しみを見つける。これまでやってみたかったこと、好きなことをやってみる。こんな時間を過ごすようになるとは、思いもよりませんでした。
最期に笑うために、
一生懸命、日々生きる
私は、4年後「本当に70歳ですか!? まだまだ現役ですよ!」と言われるより、「さすが70歳」と言われるようになりたい。先のことはわからないけど、そういう70歳がくるように、がんばっています。そうしたら、母みたいに最期、きれいにニヤッと笑えるかもしれませんから。
以前、100歳をこえるお坊さんに「どうしたら息子がしっかりしますやろ」と聞いたことがあるんです。そしたら、こう言われました。「あんたが死ぬことや」(笑)と。当時はその言葉にピンときていなかった私。でも今の立場になって、そうか〜これか〜、さすが「コーヒールンバ」の歌詞やないけど、♪昔、福井の偉いお坊さんが〜 あの時のことをはっきり思い出しました。さすが100歳をこえるお坊さんやな、と思いました。
私、母を見送ったときから、ちょっとだけしっかりしました。これからも一生懸命、生きます。やらなあかんこと、やるべきことは、いやでもやってくるから、それを一生懸命やって、日々生きる。それしか、手はないですわ。
取材・文=佐田節子 写真=中西裕人
ヘアメイク=赤間直幸(Koa Hole inc.) 構成=長倉志乃(ハルメクWEB)
撮影協力:カフェレストランShu(http://cafe-shu.com/)
【シリーズ|彼女の生き様】
綾戸智恵《全5回》
綾戸 智恵
あやど ちえ
1957(昭和32)、大阪府生まれ。ジャズシンガー。17歳で単身渡米、91年帰国。98年、40歳のと きにアルバム「For All We Know」でデビュー。2003年に紅白歌合戦に初出場し「テネシー・ワルツ」が話題になる。笑いあふれるトークと個性的なステージで、ジャズファンのみならず多くの老 若男女を魅了し続けている。最新アルバムは「Hana Uta」。24年1月30日、東京すみだトリフォ ニーホールでLIVE決定。https://www.chie-ayado.com/