2023年10月28日

【シリーズ|彼女の生き様】綾戸智恵#1

“死んだらあかん”を守り続けて――64歳の独り立ち

死んだらあかん、絶対あかん 生きてさえいれば、 人生またやり直せるから―― 母の教えは心に刻んでいます

目次

3歳からピアノを教わり、
歌は独学で練習

コロナ禍の2021年1月に母を見送りました。幼い頃から最期まで、私、ずっと母には敬語を使っていたんです。なんでやろ?何の気なしに、自然とそうなっていました。当時スタッフにも「実のお母さんですか?」とよく聞かれました。私が敬語だったからでしょうね。

中学のときに父親を亡くしてからはずっと母一人子一人でやってきて、子どもが生まれてアメリカから帰国した後も家族3人で力を合わせて生きてきて、いつも一緒にいたけれど、「~~ですか?」って、敬語で話すのが普通でね。子ども心に「人生を教わる人なんだ」と感じてたのかもしれません。

本当にね、思い返せば、母には「生きる」ゆうことがどんなことか、たくさん、たくさん教わった気がします。今はもう側にはいないけど、でもやっぱり、自分の生き方、心の中に、母の教えがしみ込んでるんです。

私がジャズに出会ったのもそうです。両親の影響で、小さな頃からジャズやハリウッド映画に囲まれていました。「こんな曲あるで」「あんなんもあるで」と、いろいろ教えてくれてね。

ピアノを始めたのは、3歳のとき。指の末梢神経を刺激すると脳にいい、ピアノは“見てくれ”もいいし、お嬢ちゃんのオモチャにぴったりなんじゃないかということで、母に「好きか?」と聞かれ、「好きや」と答えました。で、買ってくれたんです。

カトリックの幼稚園に親が入れてくれて、そこでドイツ人の先生にピアノを教えてもらっていました。CMの曲なんか聞くとすぐに弾けたし、ピアノの先生にも褒められてね。演奏するとプレゼントとかをもらえたりして、うれしかった。

中学生のときに食事に行ったレストランでピアノを弾いたら、えらいウケて「今日はタダでいいよ」って言われ、びっくりしたことも。当時は大阪万博の後だったので、ピアノを置いた外国人向けの店が多かったんです。自分の実力を試しにあちこちの店で演奏するようになり、そのうち人気者になって、高校生のときはナイトクラブでも演奏していました。

とはいうものの、私、ピアノは習ってましたけど、歌のレッスンは一度も受けたことがないんです。料理は料理学校に行かなくても作れるでしょ。もうちょっとおいしくなるにはどうしたらいいかなと工夫するでしょう。歌もそれと同じ。どうやったらもっと上手に歌えるかな、観客にウケるかな、とあれこれ考えて練習して、の繰り返しでした。

20代になると、とにかくアメリカ一色。日本で働いてお金を貯めてはアメリカに行っていました(写真=事務所提供)

17歳で単身渡米、
当時の母の教えは今も胸に

――音楽を通してアメリカに夢中になった綾戸さんは、17歳で単身渡米。その後もお金を貯めては渡米を繰り返しました。30歳でアメリカ人の男性と結婚し、33歳のとき息子を出産しました。怒涛の日々の中、アメリカと日本、離れていても綾戸さんの心の支えになっていたのが、母でした。

母とのお別れは、母が94歳、私が64歳のときでした。「あー、これで本当の独り立ちやな」と思いましたね。後に、そのことをツイートしたら、返事をくれた人がいたんです。「綾戸さん、既にひとり立ちしてアメリカに行っているじゃないですか」と。

そう言ってくれるのはありがたいけど、一人でアメリカに行くこととひとり立ちは全然違いますね。17歳の小娘が一人でアメリカに行けたのは、親がいたからこそ。親に守られて生きていたから、あんなわがまま勝手ができたんです。

子どもというのは誰でもすごいことをするものです。若い頃は責任が何かも知りませんしね。うちは母が何をするにも“あかん”と言わずに好きにやらせてくれたから、今の私がいるのだと思います。

今でも覚えていますが、初めてアメリカに行くとき、母から「智恵ちゃん、これだけは守ってな」と幾つかの約束事を言い渡されました。「お腹が空いたら、人に頼んで、もらってでも食べなさい」「居直り強盗が来たら、寝たふりして逃れなさい」というものでした。

母が伝えたかったのは、「死んだらあかん、絶対に死んだらあかんで」ということ。生きてさえいれば、日本に帰ってきて、またやり直せるから。ともかく命は守らんとあかんというのが、母の教えでした。この教えは、今でも心の中にずっと残っています。

結婚や出産を経験するうちに、自分が女性であること、親の娘だということを思い出しましたね。自分一人で生まれてきた訳ではないんやな、と実感しだしたのはこの頃です。母が娘をどんな思いでアメリカに送り出していたのかも……。遅い遅い気付きでした。

「生かされている」ではなく
「生きてきた」

――出産からほどなくして離婚し、綾戸さんは乳飲み子を抱えて日本に帰国。神戸で母と息子と3人で暮らし始めます。育児と仕事に奮闘する30代でした。

1995年、阪神・淡路大震災で、こんな不思議な経験をしたこともあります。

震災の前日、仕事が終わったのが夜遅かったので、家族ぐるみでお付き合いをしていた社長の家で息子と一緒に泊まる予定だったんです。ところが、いつもなら喜んで泊まる息子が「いやだ。おうちに帰る。ぺっちゃんこになる。ママが血だらけになる」と言い出して。

変なこと言うなぁと思いながら、泊まるのをやめて帰宅し、自宅で寝ていたら、大地震が起こったんです。後でわかったことですが、社長の家はいつも私と息子が泊まる部屋だけがつぶれていて……。私も息子も命を落とさずにすみました。

息子は当時のことは何も覚えていませんが、人間って第6感、7感、8感、9感というか、何かあるんでしょうね。人は不思議なことの組み合わせです。「なんであのとき……」ということ、山ほどあります。みなさんもそうじゃないですか。

そういう偶然があると、「生かされた?」と聞かれることがあるけど、それはないです。生かされたと思ったことは一度もない。不思議なことも、苦しいことも、ぜーんぶひっくるめて「生きてきた」んです。ただ、生きるも死ぬも一枚皮で、ひとりでは生きていけへん。そのことは30代くらいから、よくわかるようになってきたと思います。

33歳で帰国してからは、息子と母と家族3人が苦労せずに食べていけることが何よりも大事でした。

そこからまさか、CDデビューしてジャズシンガーの道を歩み始めるとはねえ。デビュー後も本当にいろいろあったけど、66歳の今まで生きて、続けてこれたなんてねぇ。この話は、また次回じっくりお話しますね。

取材・文=佐田節子 写真=中西裕人
ヘアメイク=赤間直幸(Koa Hole inc.) 構成=長倉志乃(ハルメクWEB) 構成=長倉志乃

撮影協力:カフェレストランShu(http://cafe-shu.com/

綾戸 智恵

あやど ちえ

 

1957(昭和32)、大阪府生まれ。ジャズシンガー。17歳で単身渡米、91年帰国。98年、40歳のと きにアルバム「For All We Know」でデビュー。2003年に紅白歌合戦に初出場し「テネシー・ワルツ」が話題になる。笑いあふれるトークと個性的なステージで、ジャズファンのみならず多くの老若男女を魅了し続けている。最新アルバムは「Hana Uta」。24年1月30日、東京すみだトリフォニーホールでLIVE決定。https://www.chie-ayado.com/

HALMEK up編集部
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