47歳で介護生活に。
気付かぬうちに心に限界が
――デビューして6年目、綾戸智恵さんがジャズシンガーとして過密スケジュールで忙しい日々を過ごしていた2004年。二人三脚で歩んできた母が脳梗塞で倒れます。15年にわたる介護生活の始まりでした。
母を看取ったとき、やっと
子どもとして一つ前に行けたかな、
こんなもんでよろしいか?と
申し訳が立ったような気がしました
軽快なトークにパワフルな演奏と歌声で人々を魅了し続けるジャズシンガーの綾戸智恵さん。デビューから25年、そのうち15年は母の介護と両立の日々でした。第4回は、母の介護を通して教わった、もう一つの「がんばる」の意味についてお聞きしました。
――デビューして6年目、綾戸智恵さんがジャズシンガーとして過密スケジュールで忙しい日々を過ごしていた2004年。二人三脚で歩んできた母が脳梗塞で倒れます。15年にわたる介護生活の始まりでした。
47歳のとき、母の介護が始まりました。脳梗塞を起こして右半身麻痺になり、リハビリを続けてなんとか自力で歩けるようになってたのですが、事故で転倒して大腿骨を骨折してね。それをきっかけに認知症が進んでいったんです。
私は小柄で体重も40キロないのに、母は長身で60キロ以上もあったので、車椅子を押すだけでも息切れしてしまって……。母を背負っていて、疲労骨折したこともありました。私も50代に差し掛かってますからね、「これが世にいう、老老介護か」なんて実感しました。
2008年に歌手デビュー10周年記念の全国ツアーをしたときは、母を連れて各地を回りました。当時は介護施設についてよくわかっていなくてね、どこかに預けるとか、そういう発想自体がなかったんです。
ライブで私が歌っている間は、楽屋でスタッフが母を見てくれて、ステージとは関係ないことまで一緒にやってくれて。あのツアーができたのは事務所やスタッフのみなさんのおかげなんです。ほんま、当時のみんなには感謝の気持ちしかありません。
50歳のときにはコンサート活動を休止し、母の介護に専念することにしました。朝は8時前に起きて、午後12時前に寝かせるまで付きっきり。あの頃は服を着るにも、洗濯機から物干し竿、物干し竿から取って着るという感じでね。何を着ようという気もなく、箪笥から服を出すこともなく、「あ、乾いたから、これ着よ」というような毎日で……。心が自分の体よりも重たくなっていきました。