“死んだらあかん”を守り続けて――64歳の独り立ち
2023.10.282023年10月28日
シリーズ|彼女の生き様 綾戸智恵
綾戸智恵さん★プレミアムインタビューとは?
綾戸智恵さんに聞く 「今」を生きるヒントが満載!
写真=事務所提供
波乱万丈な人生でもブレなかった
「生き方の原点」とは?
2023年、デビュー25周年を迎えたジャズシンガー、綾戸智恵さん。小さな体からあふれ出る力強くエネルギッシュな演奏とユーモアあふれるトークが人気でライブは常に満員。ジャズファンにとどまらず、老若男女多くの人々を魅了し続けています。
そんな綾戸さんの原点は生まれ育った大阪、そしてアメリカにあります。
両親、特に母親の影響で幼い頃から音楽やピアノに親しみ、個性を大事にのびのびと感受性を育まれてきた綾戸さん。当時の大阪は万博後で外国人向けのライブハウスが多く、飛び入りでピアノや歌を披露していたと言います。
17歳には単身渡米し、ロサンゼルスのライブハウスでピアノ演奏や歌唱などに打ち込みます。その後も、お金を貯めてはアメリカに渡り……を繰り返した20代。
若くして自ら飛び込んだアメリカ。何事も応援し、自由に育ててくれた母が、送り出すときに「これだけは守って」と伝えた言葉とは――。綾戸さんの生き方の”原点”となった母の教えは、母、娘、女性としての私たちの心にもズシンと響きます。
その後、30歳のとき、アメリカ人男性と国際結婚。33歳で長男を出産するも、ほどなく離婚。
帰国後は神戸に居を移し、母、息子と3人で暮らし始めます。給食の調理員や英語の先生などさまざまな仕事をしながら、ライブハウスで歌い続け、40歳にしてCDデビューが決まります。
当初は、歌一本で家族3人暮らしていけるのか半信半疑だったという綾戸さんですが、そのエネルギッシュな歌声と演奏は大反響を呼び、次々に大きなステージへ、音楽のみならずテレビ番組や映画出演など、活躍の場が広がっていきました。
綾戸さんにのしかかるプレッシャー、多忙なスケジュールによる疲れ……。それでも、ふんばることができた、そのパワーの源は? 周囲の人々と過ごす中で身をもって学んだ、本当の意味の「がんばる」とは?
波乱万丈な人生を、明るくパワフルに乗り越えてきた綾戸さんを支え続けたものは何だったのか。50代からをシンプルにパワフルに生き抜くヒントが満載の「綾戸節」は必見です!
母の介護15年、看取り、
「独り立ちした」と思えた日
綾戸さん40代後半、ジャズシンガーとして過密スケジュールを迎えていた頃、母が脳梗塞になり、その後、大腿骨骨折をして認知症を発症。仕事と介護、そして子育てを全部続けるべく、がむしゃらに過ごす日々が始まります。それは2021年、母が逝去するまで約15年間続きました。
一人娘だった綾戸さんは、当時「全部自分がやらなあかん」と思っていたそう。全国ツアーにも母を連れていき、必死で母のケアをして来たと言います。
母の介護に専念しようと一時は活動を休止しましたが、母の勧めもあり約2年後に復帰。介護疲れで沈んだ心に音楽への情熱を取り戻していきます。それでもなお母の介護は自分が、と奮闘する綾戸さん。
無理がたたって倒れ、緊急搬送。そこで息子に言われたある一言で、このままではいけないと目が覚めます。介護ヘルパーさんからの言葉もあり、綾戸さんは自身の介護への向き合い方を少しずつ変えていきました。
どんなときも、綾戸さんを信じ支え続けた母との最期の時間、母が遺した最期の教えとは?最愛の母を看取って今、綾戸さんが思う「大人になる」こと、そして「生きる」ことの意味とは?
人生を小難しく考えて悩んでしまうとき、何かを背負いすぎて疲れてしまったとき、綾戸さんの飾らないシンプルな言葉と生き方にきっと勇気がもらえるはず。どうぞ「プレミアム★インタビュー 綾戸智恵」でお読みください。
写真=中西裕人 ヘアメイク=赤間直幸(Koa Hole inc.)
撮影協力:カフェレストランShu(http://cafe-shu.com/)
【シリーズ|彼女の生き様】
綾戸智恵《全5回》
綾戸 智恵
あやど ちえ
1957(昭和32)、大阪府生まれ。ジャズシンガー。17歳で単身渡米、91年帰国。98年、40歳のと きにアルバム「For All We Know」でデビュー。2003年に紅白歌合戦に初出場し「テネシー・ワルツ」が話題になる。笑いあふれるトークと個性的なステージで、ジャズファンのみならず多くの老若男女を魅了し続けている。最新アルバムは「Hana Uta」。24年1月30日、東京すみだトリフォニーホールでLIVE決定。https://www.chie-ayado.com/