3歳からピアノを教わり、
歌は独学で練習
コロナ禍の2021年1月に母を見送りました。幼い頃から最期まで、私、ずっと母には敬語を使っていたんです。なんでやろ?何の気なしに、自然とそうなっていました。当時スタッフにも「実のお母さんですか?」とよく聞かれました。私が敬語だったからでしょうね。
中学のときに父親を亡くしてからはずっと母一人子一人でやってきて、子どもが生まれてアメリカから帰国した後も家族3人で力を合わせて生きてきて、いつも一緒にいたけれど、「~~ですか?」って、敬語で話すのが普通でね。子ども心に「人生を教わる人なんだ」と感じてたのかもしれません。
本当にね、思い返せば、母には「生きる」ゆうことがどんなことか、たくさん、たくさん教わった気がします。今はもう側にはいないけど、でもやっぱり、自分の生き方、心の中に、母の教えがしみ込んでるんです。
私がジャズに出会ったのもそうです。両親の影響で、小さな頃からジャズやハリウッド映画に囲まれていました。「こんな曲あるで」「あんなんもあるで」と、いろいろ教えてくれてね。
ピアノを始めたのは、3歳のとき。指の末梢神経を刺激すると脳にいい、ピアノは“見てくれ”もいいし、お嬢ちゃんのオモチャにぴったりなんじゃないかということで、母に「好きか?」と聞かれ、「好きや」と答えました。で、買ってくれたんです。
カトリックの幼稚園に親が入れてくれて、そこでドイツ人の先生にピアノを教えてもらっていました。CMの曲なんか聞くとすぐに弾けたし、ピアノの先生にも褒められてね。演奏するとプレゼントとかをもらえたりして、うれしかった。
中学生のときに食事に行ったレストランでピアノを弾いたら、えらいウケて「今日はタダでいいよ」って言われ、びっくりしたことも。当時は大阪万博の後だったので、ピアノを置いた外国人向けの店が多かったんです。自分の実力を試しにあちこちの店で演奏するようになり、そのうち人気者になって、高校生のときはナイトクラブでも演奏していました。
とはいうものの、私、ピアノは習ってましたけど、歌のレッスンは一度も受けたことがないんです。料理は料理学校に行かなくても作れるでしょ。もうちょっとおいしくなるにはどうしたらいいかなと工夫するでしょう。歌もそれと同じ。どうやったらもっと上手に歌えるかな、観客にウケるかな、とあれこれ考えて練習して、の繰り返しでした。