春の「季語」を楽しむ ~言霊のススメ~
2024.03.162022年11月12日
『塞王の楯』で取り上げられた石工集団とは?
石の声を聴き、石に従う。第7回坂本ふるさとサンポ
穴太衆(あのうしゅう)と国友衆を題材にとった小説『塞王の楯』が第166回直木賞を受賞し、滋賀県はそれに合わせた観光キャンペーンを展開しています。
第7回坂本ふるさとサンポ
ここ数年続けて参加している「坂本ふるさとサンポ」。
第7回の今回は、石垣を造る穴太衆と鉄砲を作る国友衆を題材にとった小説『塞王の楯』が第166回直木賞を受賞し話題となり、「坂本ふるさとサンポ」も地元の「穴太衆積み」にフォーカスしたツアーとなりました。
当日はお天気にも恵まれ、大変充実した一日となりました。
穴太衆積みはいつから始まったのか
今回頂いた資料「穴太と穴太積み」によるとその歴史は古く、古代の近江王朝の時代には「あのう・あなほ」は地名として認識されていた様です。
古墳時代になると湖西地方には特異な構造の古墳が確認されており、それは高句麗や百済に同類のものがあり、石組は穴太積みとよく似ているそうです。
中大兄皇子の時代に白村江の戦いがあったように、当時は大陸との交流も盛んで、古くからの土地である近江にも渡来人が多く住んでいたと思われます。
あの比叡山焼き討ちにより坂本の街は灰燼に帰しますが、その復興を担当していた丹羽長秀が穴太積みの堅牢さを信長に伝えたところ、信長が気に入り安土城の石組みに採用したそうです。そしてこれが、歴史の表舞台に立つ契機となりました。
江戸時代になると「一国一城」の旗印の下、各地で築城が盛んになりその堅牢さを買われて穴太積みの石工は全国に広がって行きます。
隆盛を極めた江戸時代
前述のように安土桃山時代~江戸時代中期まで各地で築城が盛んとなり、幕府の役職「御材木石奉行支配」の穴太頭を穴太頭4家のひとつ「戸波家」が務めました。
ところが、江戸中期になると平和になり城建設も下火となり、穴太積みも衰退していきました。
現在は大津市坂本にある「株式会社 粟田建設」さんが穴太衆として残っており、さまざまなメディアに取り上げられ海外にも活躍の場を広げられています。
穴太衆積みとは
最大の特徴は、水はけがよくて堅牢だという点だそうです。
石垣の最大の敵は「水あるいは氷」で、盛り土を抑えるためにあるものなので、その土の水はけが悪かったり、水分が凍って膨張したりすると石垣は崩れやすくなり脆くなります。
また、石垣の重心は後ろにあり、事が起こっても後ろに崩れていくようになっているそうです。
さまざまな石組みの説明があり、当日は「へえぇ~!」の連続でした。
今回の「坂本ふるさとサンポ」は穴太衆積み石垣に焦点を当てた内容でしたので、大変面白く勉強になりました。
ますます「坂本さんぽ」が楽しくなりそうです!
穴太衆についてもっと知りたい方は『穴太頭と穴太衆』(著者 戸波亮) もご参照下さい。
参考資料
『穴太頭と穴太衆』文芸社 戸波亮 著
『塞王の楯』集英社 今村翔吾 著
もっと知りたい■