いきなり始まった私の介護に関わる人生(10)

亡き父のお話~がんばった父

公開日:2022.06.23

心肺停止から復活した父。越せないと言われた新しい年も迎える事ができましたが、ついに力尽きてしまう時がやってきました。それまでのお話です。

亡き父のお話~がんばった父
ついに力尽きてしまう時

父の生命力

「血圧が低くなって危険な状態なので来てもらえますか」と病院から連絡があり急いで向かうと、普通の値になっていました。

「かなり低かったのでご連絡したのですが、少し上がってきましたね」と看護師さん。笑ってしまいました。しばらくそばにいたのですが落ち着きを取り戻したので、また何かあったらご連絡くださいと病院をあとにしました。

兄も私からの連絡で会社を早退し家族で病院に向かってくれていたのですが、兄家族が着く前に再び私に病院から連絡が入り「また血圧が低くなってきたので来てもらえますか?」と言われ、さすがに今度はダメかもと、私も私の家族と母を乗せて病院にまた向かいました。

病室に着きすぐに血圧を見るとまた安定に戻っていて、先に来ていた兄家族と叔父は「お父さんの生命力はすごいね!」と驚きでした。

その時病院は、面会時間が終わる頃。そろそろ……となった時「何度も血圧の変化があるので、今日はどなたか泊まっていただけませんか」と言われ、私が泊まることになりました。

父の生命力
病院から連絡があり急いで向かう

最後まで寂しがりやの父

そのまま私だけ病院に残り、面談室のソファで掛け布団だけお借りして泊まる事になりました。

もちろんいつものように眠る事ができず、何度も父の病室に様子を見に行き「じいじはそばに誰かがいると安心なんだね」「今日は夜もそばにいるよ」と声をかけていました。その言葉が聞こえたのか、父のバイタルはずっと安定して朝を迎えました。

お昼前には父の姉弟たちがご夫婦で来てくれ、父に声をかけてくれていました。聞こえていたかのように父は安定していたのでみなさんは帰宅され、みんなと一緒に来られなかった一組のご夫婦が来て「兄さん、遅れてごめんね」と声をかけた瞬間、これで全員揃ったと分かったのか様子がおかしくなりました。

これは本当に最後かもという予感がし、一番父に会わせたい母がまだ来ていなかったので一緒に向かっている兄に「もうダメかもしれないから早く来て!!」と連絡。

その間も父はどんどん血圧が低くなり、心臓も弱くなっていきました。

父の最期

「ばあばがあと少しで着くからがんばって!!!」

最後の付き添いの通院のときに、父が主治医に「施設じゃなく、家内と一緒に家にいたい」と言った言葉が思い出され、涙で出ない声を振り絞って懸命に声をかけました。

あと2、3分で来るから! がんばって!! ここまでがんばったんだから!

でも、父は最後の最後に母に会うことができませんでした。

母と兄が病院に着いたのが約5分後。母が一生懸命廊下を歩いている姿が見えて、私は泣きながら駆けつけ「ばあば、じいじがんばっていたけれど間に合わなかった」そういうと母は「そう、間に合わなかったの……」と落胆しながら病室に入っていきました。

1月9日 14:46分 母、兄、私家族全員そろったところで父は永眠となりました。

父の最期
父の最期

 

■もっと知りたい■

 

あさくら さとみ

生前の父の介護を3年前に携わり、母のアルツハイマー認知症の介護に7年。介護のことを何も知らない状態から始まりました。2年前には兄が急死し不安な状況での介護。介護する側の気持ちや、認知症というものの現実などお話しできたらと思います。

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