子供たちの夢とともに、オリンピックを楽しむ気持ち
2021.07.282021年08月18日
オリンピック雑感
人生の節目に出会った2つの「東京オリンピック」
1964年10月10日、第18回夏季オリンピックが東京で開幕されました。私はこの年に大学を卒業し、就職しました。そして結婚しました。文字通り人生の節目の年でした。
「1964東京オリンピック」で思い出したこと
日本はもちろん、アジアで初めて開催されるオリンピックとあって、国中が沸きました。1960年夏季大会の開催地への立候補は、ローマに敗れた経緯があったからでしょう。国はオリンピック開催の快挙を喜び、多くの国民はよくわからないまま先進国の仲間入りする期待感を持ったと思います。
1959年のIOC総会で決定した東京オリンピックの開催は、敗戦国日本・被爆国日本が急速な復活をなしたシンボル的な意味を持つ、と識者たちは後年言っています。新幹線や高速道路網が整備され、ユニットバスが誕生し、ピクトグラムという表現方法が作り出されました。
そして「2020東京オリンピック」
2013年9月のIOC総会で、東京オリンピックが決定。一生に2度オリンピックに遭遇できる、と感動しました。首都圏に住む娘に、東京に観戦に行きたい、と話していたものです。
しかし、深刻なコロナ禍。第5波のさなかの「2020東京五輪」は、異例続きの上、スキャンダル続出で記憶に残るものに。「犠牲を払ってでも五輪を開催する」と言ったIOC、大会組織委員会や政府の対応に、国民は一億総評論家となりました。
若い頃に、最初の東京オリンピックの盛り上がりを経験した身としては、複雑な思いを感じました。
日本のトイレにびっくり
選手村の宿舎では、海外の選手たちはトイレのすごさに驚いたというニュースが流れました。ウオッシュレットのことです。
以前フィリピンに旅行したとき、日本に来たことがある現地の若い女性も同じことを言っていました。「個室のドアを開けると便座の蓋が上がり、消音もでき、用を済ませるとセンサーが感知して水が流れる。すごい!」と。
アメリカの少女が「日本のトイレには幽霊がいる」と思うほど、そのハイテクぶりに驚いたというネットニュースを以前見たことあり、しばしトイレ談義で盛り上がったことがありました。
オリンピックを開催するのは、開催国の文化や技術を世界にアピールするベストチャンスです。海外からの観客のいないオリンピックになってしまい、その意味でも残念なオリンピックでした。
やはり、アスリートたちに感動
そんな中、アスリートのみなさんの涙や笑顔は、やはり私たちを感動させてくれました。東京五輪の「United by Emotion(感動で私たちは一つになる)」を感じる瞬間でもありました。彼らの奮闘は、政府やコロナ禍に疲れた国民に「もっとがんばれ」と「闘志」を促したと感じました。
「2020東京五輪」が実施された2021年に、私の八十路の人生がスタートしました。まだまだやってみたいことがたくさん残っています。アスリートたちからもらった元気を糧に、大切に人生を過ごしていきたいと思っています。
アフター・オリンピック
「1964東京五輪」招致を機に「街をきれいにする運動」が起き、私たちの公衆衛生や公衆道徳のマナーが格段の向上を遂げたそうです。急速に拡大しているコロナ禍中の「2020東京五輪」は、どんなレガシーを残すのでしょうか。
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