人生100年、後半人生もいきいきと

80歳の誕生日、広島の被爆アオギリに会いに行く

公開日:2021.07.07

私の八十路人生が始まりました。人生100年時代「まだまだこれから」と、2019年に立ち上げた地域の「美鈴カレッジ」のキャッチフレーズを唱えてみたりしていますが……。

いざ、八十路の旅へ

母や祖母たちと比べると、私はまだまだ元気ですので、優秀(?)な八十路スタートと自負しております。しかしこれは、時代による社会・環境・食生活など諸々の要因が影響しているのでしょう。

娘からの誕生日プレゼント

遠方に住む娘はここ10年余り、人間ドックの費用を誕生日祝いとして贈ってくれます。健康自慢だった夫が医者嫌い病院嫌いで逝ったせいで、私を心配してのことだと思います。

そりゃ、若い頃のようにはまいりません。多少耳が遠くなった(いや、子供の時から難聴気味だった)、健脚自慢だったのに(そりゃよく歩いたから)、新しい知識の覚えが悪くなった(長年の脳活動でキャパシティが限界に来ているのよ!)……など、言い訳しながらも自覚しております。ノーテンキの私は、いつも今が一番いい年だと思って過ごしています。

自宅以外での誕生日

自宅以外での誕生日
左:ロンドン郊外。午前中は主にここで勉強、とても贅沢な日々を過ごしました
中:ザンビアのディナーショーで私のためにも歌ってくれました
右:利き手の骨折。コロナ禍で「見舞い客お断り」ゆえ静かに過ごしました

そういえば自宅以外で誕生日を迎えたのは、最初は英国で。『いきいき』(『ハルメク』の前身)企画のワンマンスステイの参加中でした。滞在中にTVで「30歳のウィリアム」の放映や、女王在位60年を祝う「ダイヤモンドジュビリー」を見聞きしました。もう10年前になります。

次はアフリカのジンバブエで。アフリカ南部4か国のツアー中(5年前)でした。3度目は、昨年の入院中で、右手首をギブス固定された状態での誕生日。とてもアンハッピーなバースデイでしたが、時間だけはリッチでした。

自宅以外での誕生日
説明板のある左が「被爆アオギリ」、私の後ろがその「二世」

そして今年は、広島県に「緊急事態宣言」発令中の誕生日。人を誘うのも誘われるのもはばかられるようで、一人バスを乗り継いで、広島平和記念公園へ出かけました。被爆後70年間草木も生えない、と言われていましたが、豊かな緑が育ち、癒しの空間となっています。しばし森林浴を楽しみました。

被爆アオギリとは

被爆アオギリとは

爆心地から約1.3km北東の地点に生えていたアオギリは、熱線と爆風を受け、枝葉は無くなり、幹は半分(爆心側)焼けました。原爆投下の翌春、そのアオギリの芽吹きが被爆と敗戦にうちのめされた人々を勇気づけたそうです。

まさに、復活の象徴です。1973(昭和48)年に原爆資料館の北側に移植され、その種子は「被爆アオギリ二世」として国内外に配付されて育っているようです。

長崎の被爆樹木はクスノキだそうで、こちらも惨禍を生き抜き、市民を勇気づけた証となっているそうです。80歳の誕生日に、生命力に満ちた被爆アオギリから、たくさんの元気をもらいました。

 

■もっと知りたい■

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

マイページに保存

\ この記事をみんなに伝えよう /

注目企画