地元広島を歩いて新しい発見

広島平和大通り(通称100m道路)を歩く

公開日:2021.03.15

更新日:2021.03.15

広島市の中心部を東西に横断する約4kmに伸びる通りを端から端まで歩いてみました。いつもはバスか電車で通るのですが、歩いてみると、普段とは違った風景が見えました。

原爆投下による焼け野原に100m道路を

原爆投下による焼け野原に100m道路を

広島市の100m道路は、終戦の翌年(1946年)、「戦後復興計画基本方針」の中で計画されました。その後、1949年に「平和記念都市建設法」が制定され、「市民生活の安定」と「広島市の復興」に市民たちは邁進したようです。そうした広島市のめざましい復興を経て、100m道路は、今や「日本の道100選」「都市景観100選」にも選ばれています。上記の「基本方針」では、全国24本の100m道路の建設が予定されていましたが、完成したのは名古屋市の若宮大通と久屋大通、広島市の平和大通りの3本だけだそうです。

公園道路、市民のイベント道路

公園道路、市民のイベント道路

幅員(ふくいん)100mの道路というのは、やはり広いです。中央車道、その両サイドに歩道・緑地帯・副道・歩道が整備されていますが、緑地帯が実に美しい。県内外のみならず、海外からも10万本の苗木や樹木を集めたそうです。その木々が心地よい木陰を作り、遊具が設置された子供の遊び場、シニアのグランドゴルフ場、ベンチが並ぶ憩の場、ひろしま朝市などのイベント場などを提供する「公園道路」となっています。

また、広島カープやサンフレッチェのパレード、全国都道府県対抗男子駅伝(1月)、広島フラワーフェスティバル(5月)、ライトアップのひろしまドリミネーション(12月)などが催される、「市民のイベント道路」でもあるのです。

100m道路を探検

100m道路を探検
上:橋のたもとには「水の都」の案合図
下:平和大橋の欄干はイサム・ノグチ氏の設計​​​​​​
当時​​​​​そのユニークさが評判だったとか
見応えある石灯籠が32基もあるのです
見応えある石灯籠が32基もあるのです

広島市に長く住んでいながら、一度も端から端まで100m道路を歩いてみたことがありません。そこで、寒くもなく暑くもないちょうどよい日を選んで歩いてみようと思い立ちました。

100m道路の西の端から出発。何処かのお屋敷に迷い込んだかと思えるような立派な石灯籠が32基も点在しているのを発見しました。まさに石の芸術という感じでしたが、平和の灯運動の輪を広げる目的で設置されたようです。1基ごとに説明パネルもついていて、一つ一つ読んでみました。

木々を眺めたり、周囲の建物を見たリ、子どもを遊ばせている親子連れを見たりと、ゆっくり歩きながら、ほっとする時間と空間を楽しみました。とはいえ、全長約4kmの道路は、ここのところ膝を痛めていた私にはやはり長く、その日はちょうど中間地点の平和記念公園前の「平和の門」で探検終了しました。

平和記念公園前の「平和の門」
上:平和公園入り口の「嵐の中の母子像」と噴水
下:向かい側の緑地帯の「平和の門」、世界49カ国の言葉で「平和」の文字が刻まれています

そして、日をあらためて、残りの半分に挑戦。今度は「平和の門」までバスで行って、そこから100m道路の東の端まで歩きました。その日は三寒四温の早春とはいえ、21℃まで気温が上昇した日で、汗をかきかき、東端に到着。なんとか、100m道路を制覇しました。

今度は違う季節に友人を誘って、「ひろしま朝市」めぐりをしながら、また歩いてみたいと思います。

 

■もっと知りたい■

とし古

祖母は60歳の頃、針仕事や寺参りを日課にしていました。母は70歳の頃不自由な体で家族のために働き趣味の書道教室にも通っていました。そして私はいま八十路を歩いています。体力・知力は衰えを感じますが考える事・感じる事は昔と変わらないと思っています。死ぬまでにやっておきたい事に色々チャレンジしたいです。

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