今に残る高遠石工の活躍
2021.06.292021年06月16日
南信州を巡る
石・石造文化にふれる
遠出のできない今、地元の自然に身を置き再発見することに楽しみを見つけています。知らなかったことを知る、気が付かずにいた物との出会い、嬉しいですね。ワクワクします。今回は地元で見つけた石・石造物の紹介をします。
切石
近頃話題のアニメ『鬼滅の刃』では、主人公の竈門炭治郎が岩を刀で切る修行がありました。飯田市内には「切石」という地区があり、真っ二つに切られた? 石があります。
「源義経が頼朝に追われ藤原氏を頼り下る時、この道を通った。その時邪魔になったこの大きな石を、弁慶が薙刀(なぎなた)で切ろうとしたが、切りおおせなかった。そこで、義経が太刀で切った」と伝えられている石です。
この石があるために地区の名前は「切石」と呼ばれ、この地が単に石の産地だっただけではないようです。すぐ横には、美しい仏の姿もありました。
立石寺(りっしゃくじ)
飯田市立石(たていし)の立石寺(りっしゃくじ)です。子供たちが遠足で訪れるところです。
「立石寺は天安元年(857)建立。その後応伝という坊様がお堂を建てようとすると、土の中から黄金に輝く光が差し、一夜のうちに立派な石が立った。そこで、寺の名を立石寺とした。石は竜宮城にまで届いている」と伝わっている……。小学生の書いた看板がありました。
手を合わせ拝んでいるようです。
こちらの像は天保という字が読めます。かすかに微笑んで、手を合わせている姿は可愛らしく感じます。髪型も衣装も独特です。中国の歴史ドラマを思い出します。
おちん岩「中郷蛇岩」
前に、遠山郷・下栗の春「日本のチロル<下栗の里>」をお伝えしました。下栗への道中(国道152号線)の際に大きな岩がありました。こんなに大きな岩、今まで関心を持たなかったのも不思議です。見えなかった物が見えてきた感じです。
飯田市美術博物館によれば、大きさは約530立方メートル、重さは約1300t、チャートという固い岩石や石灰岩の塊だそうです。周りの建物と比べれば大きさがわかります。
慶応4年(明治元年)7月2日の豪雨で転がり落ちて、もう少しで上村川というこの場所で止まったというのです。こんな大きな岩が転がり落ちるなんて、想像しても恐ろしいです。また、岩の底に大きな洞穴があり、昭和25年頃まで、大蛇が住んでいたとも伝えられています。
「試験に落ちない」よう、合格祈願に訪れる人もあるようです。
大雨の季節になりました。情報を聞き逃さないようにしたいものです。どうか、災害が起こりませんように!
次回は、伊那市高遠町の石造物を紹介いたします。美しい作品に遇うことが出来ました。新型コロナウイルス収束を願い、お祈りしてきましたよ。
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