実父との期間限定の同居生活

父との同居生活を始めて見えてきたこと

公開日:2021.02.15

2020年に大分に住む実父が大型台風の被害に遭いました。しかし、避難場所に行けず、一人で自宅に戻ってしまったということがありました。また、携帯電話を持たないので連絡がつかないなど心配なことが多く、急きょ東京で同居をすることになりました。

固定電話だけが唯一の安否確認

以前、父に携帯電話を持たせようとしたのですが、私が東京に戻ると知らないうちに解約をしてしまいました。節約志向で、固定電話がありながら、携帯電話にお金を払うのがもったいなかったようです。

そのため、子どもである姉弟3人が定期的に家の電話に連絡をする他はありませんでした。父はもともと無口であまりしゃべりませんでしたが、母が亡くなってからは人と話す機会がますます無くなり、声は以前よりもかすれています。それでも母との思い出話をするときは、明るい声色に安心していました。

きっかけは秋の大型台風

きっかけは秋の大型台風

2020年、九州に桁外れの大型台風が来るというニュースで、次男の弟が近くの小学校に避難するように指示しました。ところが父は小学校が分からず、自宅に戻っていたのです。もし予報通りの台風だったらと思うとぞっとしました。

心配する私を見かねて、夫はすぐに父の受け入れを承諾してくれたのです。それどころか、父と私の体力を考えて、大分まで車で迎えに行くことを提案してくれたのです。

キャンピングカーでのお迎え

キャンピングカーでのお迎え

行きは、大分までの観光を楽しみながらの快適ドライブでした。

到着する前日に何度も電話をしましたが、つながりませんでした。今日、病院の紹介状をもらいに行くように伝えていたので、その病院に連絡をすると「○○病院に入院しましたよ」との返事。

入院先の担当医に事情を話して、数値の異常は見られないこと、車で寝ながら移動できること、何か変化があったときにすぐに病院へ行くことが可能だということで、移動の許可をもらいました。

頭では承諾していた東京行きもやはり行きたくなかったのでしょうか。まさか病院へ父を迎えに行くようになるとは思いませんでした。

東京までの帰りは常用薬の副作用で頻尿、しかも筋力が衰えていて、トイレに行って帰ってくるのに30分はかかりました。1時間半おきのトイレ休憩で、思うように進めない夫のストレスはかなりのものだったと思われます。

同居生活で見えてきたこと

同居生活で見えてきたこと

父との同居が始まって、早4か月が過ぎ、父の栄養状態もすっかり改善され、体が少しふっくらしました。心不全を患っているので、何かあったときもすぐに対応できて、悩みはすべて解消されたと思っていました。

脳も体も日に日に老化する中で、新たな環境への順応は非常に難しく、唯一の運動である散歩の距離が短くなりました。スーパーまでの道が覚えられずに、大分でしていたような買い物兼散歩ができなくなったからです。理由をつけてはさぼることも頻繁に出てきています。それで叱ることもしばしば……。命の危険とまではいかなくても、緊張感は何かしら持つべきものだと実感しています。いずれ私も通る道、動ける間は体を動かさなければと、自分にも言い聞かせています。

ずっと歩けることがどんなに幸せかということを、父に早く気づいて欲しいと願うばかりです。

 

■もっと知りたい■

蒲池 香寿代

大分県生まれ。小学校の時に恩師の先生との日記を機に何かしら記録することが習慣になっていました。結婚後は家計簿日記と運動不足解消の体操が日課になっています。元気なうちに念願のキャンピングカーで日本全国を横断するのが夢です。

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