50歳を過ぎてからライターを始めた経緯

ライターことはじめ

ライターことはじめ

公開日:2025年03月26日

ライターことはじめ

私がライターを始めたのは50歳を過ぎてから。チャレンジしようと思ったきっかけやこれまでの経緯をまとめてみました。

専業主婦歴24年を経て

専業主婦歴24年を経て

26歳で結婚をして、私はそれまで勤めていた会社を「寿退社」(今では死語となっていますね)。

塾講師の夫は、お昼前に起床し午後から出社、深夜に帰ってきて晩ごはんを食べる、という変則的な生活をしていたため、私もそれに合わせ、一般的な生活サイクルとは半日ずれているような日常を送ることとなりました。

長男と次男が生まれた後は、子どもたちと夫と、どちらの生活も時間差で回してゆかなくてはならず、早朝に起きて深夜に就寝する毎日。

睡眠時間が少なく体力的にもぎりぎりで、自分自身のことを考える余裕がなく、結局24年間、専業主婦を続けている状態でした。

テレワークとの出合い

テレワークとの出会い

転機は長男、次男の大学進学でした。相次いで二人とも京都の大学に進学し、下宿生活を送ることに。

ぽっかり空いた日常の余白と、自分の手には何も残っていない空白感で、私は目の前が真っ白になりました。

そんな時、たまたま見つけたのが和歌山県主催の「テレワーク養成講座」。

私は子どもの頃から文章を書くことが好きで、専業主婦をしながらずっと、パソコンで子育てブログを発信していました。

「ちょっとだけどパソコンは使えるから、テレワークならできるかもしれないな」

と、早速申し込みをし、パソコンの扱い方や業務を行うための基礎、ライターの仕事の見つけ方まで、興味深く3日間の連続講座を受講しました。

その後、「テレワーク養成講座」は週に1度、半年間に渡っての続きが設けられ、自分史を使ってのキャリアの築き方、実際にライターをしている方が講師となってのライティング講座、青色申告の方法など多方面に渡って学ぶことができ、かすかな自信にもつながりました。

現実の厳しさ

現実の厳しさ

ところがいざライターの仕事を始めてみれば、現実は厳しいものでした。

クラウドサービスを使って仕事を探したものの、「3000文字を書いて500円」。

「画像はインスタグラムのどこかから拝借してきてください」と、法に触れそうな指定も。

報酬が書かれていなかったのでメールで問い合わせると、「そんなことを聞いてくるとは初心者の分際でおこがましい」との返信が届いたこともありました。

10年ほど前のことで、当時はまだテレワークでのライティングの現場はかなり荒れている状態だったように思います。

そんな中、良心的な終活サイトとのご縁がつながったり、和歌山の情報サイトのライターに採用されたり、小学館『和樂web』では大好きな日本文化について書く機会もいただきました。

『HALMEK up』ではWEB記事としては初めて、自分自身の体験や思いを綴ることができ、貴重な経験となりました。

改めて振り返ってみると、ライターにチャレンジしたからこそ学べたことが、本当にたくさんありました。

最初は名刺の受け渡しもぎこちなく、私の仕事ぶりはまるで新入社員。

メールや電話でのやり取り、取材の交渉や写真撮影まで一人で試行錯誤し、うれしいことも後悔したこともさまざまな体験ができた10年間です。

これからのこと

これからのこと

翌年に還暦を控えた昨年半ばから、なぜか、

「そろそろライターを辞める時期かも」

ぼんやりとそう思い始め、少しずつその気持ちは強くなってきました。

自分自身で発行する少部数の冊子「JINE(ジン)」に興味が湧き、昨秋『flow Essence』というフォトエッセイのJINEを作製してからは、ますますライターを辞める方向に心が動き始めました。

これからは仕事として記事を書くのではなく、自分の内面を充実させて形にし、そこからまた、新しいご縁をつなげていくことを考えています。

どちらにしてもやはり、ずっと文章を書くことを楽しむ人生となりそうです。

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