枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262024年12月20日
青田惠子作『森の匂いは消えていった』⇒ふるさと⇒?
平らな(ポー)国(ランド)から、山又山の三重県へ
ポーランドから長女のMother in lawが来ました。1回目は26年前。長女がポーランド人の彼氏と結婚することになり両家の顔合わせをするためでした。2回目の今回は京都の紅葉見物の足を伸ばして三重県のログハウスを訪ねてくれたのでした。
Son in lawのふるさとポーランド
私も2回ポーランドを訪れたことがあります。1回目は25年前、ポーランドの教会で娘達が結婚式を挙げたとき。そして2回目は娘の長男つまり初孫が「バブタイズ」(洗礼)を受けた18年前でした。
ポーランドでは、約90%の人々がカトリック教徒で、教会で式を挙げるのが、そして子どもが生まれたら洗礼を受けるのが当然と言った感じで、カトリック教会が国家や国民意識のシンボル的な役割を果たしているようです。
結婚式をすませて、新婚の2人と私たち家族4人で彼の実家があるワルシャワ郊外から、古都クラクフまでドライブ旅行をしました。その時、私が驚いたのは「山が見えない」ことでした。
行けども行けども平原が続き、夕陽が地平線に沈んでいくのを見たときには感動しました。川が緩やかで長いことにも驚きました。ワルシャワを流れるのは「ヴィスワ川」、クラクフに入ったとき「これは何川?」と訊ねると、「ヴィスワ川ですよ」と言われてビックリ!! 何と1047kmも流れて北部のバルト海へと注がれているとのこと。
旅行後、建築家だったFather in lawの案内で、林を通って彼が建てたログハウスまでピクニックをしました。その時すまし顔の「コウノトリ」が高い木の上で巣を守っている姿を目にしました。目の前に絵本の世界が広がったようでした。
山又山を越えてのドライブでログハウスヘ
今回は、昨年アメリカから越してきた東京にある長女家族の住まいを訪れるのが目的の来日です。たった3泊の西日本の旅の目的地に私たちのログハウスを入れてくれたことは、本当にうれしいことでした。今は亡き夫君との思い出に浸りたかったのかもしれません。
山又山を越えてログハウスに到着すると、歓声を上げてあらゆる方向から外観を見て回り、夫君のログハウスとは違う工法で建てられた我が家のログハウスに強い興味を示してくれました。矢継ぎ早に質問をし、夫はとうとう設計図や約10年にもわたる記録写真までも取り出して、質問に沿って説明できるのがうれしそうです(高齢の二人の思い掛けない盛り上がりにSon in lawも通訳大忙し)。
やがて、夕飯の時間になり男性2人が民宿を営む義姉が用意してくれた魚料理を受け取りに行きました。黒潮の蛇行に加え、異常気象で海水温が高くなり、少ない漁獲の中でのやりくりです。
Mother in lawは「私の前世は絶対日本人」と言うぐらい刺身が大好き。この日の刺身は「鰹」粘りが強くもっちりとしています。「アッ写真を撮らなければ」と思ったときには彼女のお皿は「刺身のつま」まで食べ尽くされて空っぽ。
「ムツ」の煮付けもお箸で上手に小骨まで取ってペロリ。最後まで手を伸ばさなかった「ムツの唐揚げ」。「私はこれが一番好き」と言うと、食べてみてお気に入りとなり、頭から骨まで食べ切ってくれました。
50代前半のSon in lawと3人の70代、たくさん食べしっとりと語り合ったログハウスでの一夜でした。
本日は晴天なり…夫のふるさとの良さを全部
翌日は晴天。ログハウスの前で記念撮影をしてから、注文しておいたお弁当とお茶を持って展望台へと車を走らせました。山は青く、海は光り、空気は冴え渡り、4人で分け合って食べるこの町ならではのお弁当もことさらおいしく感じられます。
JRの最寄り駅まで送るのも山又山の中。木々の間から見える多島美の熊野灘。夫の故郷の良いところを全部見てもらえた満足感。全く違う気候風土のふるさとを持ちながら、こんなにもしっとりと心を通い合わせることができた不思議さ。おもてなしを助けてくれる義姉たちがいてくれることに感謝しながら、夫の故郷を後にしました。
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