枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262024年10月29日
青田惠子作―『森の匂いは消えていった』―から2年
広めずにはいられないー第3作『風にとむらはれて』ー
2022年5月、初めて青田惠子さんの本『森の匂いは消えていった』に触れ、朗読せずには、書かずにはいられない気持ちになりました。そして今回、『風にとむらはれて』に触れ、広めずにはいられない気持ちになりました。
シーツ、浴衣、襦袢等で構成された布絵!
2019年に発行された前作の巻頭言で「60の開花? 爆発?」と夫君をして言わしめた前回の布絵よりもさらに芸術性を高めたとも言えるような今回の布絵です。2024年3月に発行され、もう既に第3刷が発行されています。
今作の巻頭言で夫君はこう述べておられます。「60歳を過ぎた全くの素人だった妻の詩がこんなにも広がったのは何故か?-中略-自分が体験した事、感じた事を素直に表現した事でしょうか」と。
芸術性を高めた布絵と素直な表現の詩故に、より怒りの本質が露わになった今回の新作本『風にとむらはれて』です。実はこの本、青田惠子さんの「詩と布絵」の本第3作目です。
「この本を広めたい」気持ちに駆られて
初めて青田さんに会ったのは2022年5月のこと。「詩と布絵」の本第2作目『森の匂いは消えていった』をハルメクWEBの記事に書く許可を得るためでした。
出会った途端、1950年生まれ同士の私たちはすっかり意気投合して、2023年の秋には、私の自宅がある町の「母親大会」で布絵の原画を展示すると共に、「ケーコとアキコの本音トーク」と題して、東北弁で書かれた詩は青田さんが、標準語で書かれた詩は私が読みながら、報道されない、見えにくい「フクシマ」の現実を青田さんに語ってもらったのでした。
出会いからアッという間に2年が過ぎ、2024年8月青田さんから「贈呈本」として送られてきた第3作目『風にとむらはれて』を見て、多くの人に13年経ったからこそ見えてきたことを知ってもらいたい! この本を広めたい!! 気持ちに駆られました。
古くからの友人、「母親大会」で出会った自宅の町の人たち、現役時代の同僚等にLINEを送りました。「青田惠子さんの新作本が素敵に出来上がっています。もし良ければ買って頂けませんか」と。表紙と扉の布絵の写真を添付して。
1冊、2冊、3冊……アッという間に19冊の注文が集まったので、本を受け取りに私は青田さんのお宅を訪ねました。北は京都市から南は京田辺市まで、本を届けがてら懐かしい人たちに会いに行こうと考えたからです。
能登震災が示したー原発は成り立たないー
福島での原発事故の後始末は未だ終わらず、生業も担い手も戻らず、戻ったのは老人だけで、町の存続が危ぶまれるほど。それなのに、政府は原発推進の立場に戻り、再稼働、新増設、60年までの運転延長と前のめりです。
汚染水を「処理水」と言い換えて、海洋放出も強引に推し進められています。2011年3月11日に起こったこと、それに続く悲惨さはもう忘れられたのでしょうか?
2024年1月1日に起こった能登震災とそれに続く豪雨災害で、「何かが起こっても逃げられない」という現実を私たちは目の当たりにしました。
本を届けに行った元同僚から、終わることのない「フクシマ」のこんな話を聞きました。「原発に対する考え方の違いから離婚となり、夫だけが福島に残って母子で京都へ越してきた人がご近所にいるのよ」と。13年経った今、夫は福島で癌の転移に苦しみ、当時8歳だった子どもは京都で甲状腺癌に苦しんでいる事実。「フクシマ」は、終わってなんかいないのです。
青田惠子 作『森の匂いは消えていった』『風にとむらはれて』は共感された方々が協力し合って出版された本です。
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