―美しいこと・楽しいこと・幸せなこと見つけ名人に―

感謝できる幸せ

公開日:2024.03.07

2024年1月25日、尿管に居座った結石除去の最後の手段、「経尿道的結石除去術」による手術をしました。手術は成功して腎臓にもあった結石までも全部取れました。が、その後に襲った激しい尿漏れ地獄。救ってくれたのは……!

感謝できる幸せ
次女からのブーケはステントを取る予定だった2月19日まで枕元で美しく咲き続けてくれました

右半身麻痺が堪えました

杖をついて歩くのがやっとの私には、「付き添い無しの入院」は厳しいものでした。ベッドに腰掛けて看護師さんから手術前後の注意を聞くにも、背もたれがない状態で座位を保つのはかなり疲れます。

1)3時間前には食べ物に加え水も口にしてはいけない。2)30分前には排尿を済ませておく。3)手術室から連絡が来たら、手術着に着替え、深部静脈血栓症を予防するための弾性ストッキングを着用するetc.

時間通りに行動するのも苦手なことの一つです。幸か不幸か3回目の入院でトイレの場所や仕組みが分かっていたので、多めに時間を見て準備を進めることができました。

3)からは、看護師さんが「弾圧ストッキング」と「手術着」を持ってきて、手伝ってくれました。手術室から呼び出しがあり、ベッドのまま移動です。何番の手術室かを病棟の看護師さんが受付で確かめて入室。そこには男性医師3人と麻酔科の女性医師1人、看護師さん1人が待機していました。

「老いの成長」なのか少しもドキドキすることなく、枕元で私の様子を見守っていた麻酔科の先生に「今どんなことをしていますか?」「まだ準備中ですね」「今は?」「もう中盤に入りましたよ」等と、冷静に尋ねていました。

年配の先生が枕元まで「腎臓にも石があったのでそれも取りますね」と説明しに来て下さったので「手術前にステントは抜いたのですか?」「その通り!」「終わったら念のためもう一度入れます」―私は、自分の状態を把握しておくのが好きなのです。

楽しいことを噛み締めて苦しみを乗り越える

子ども達が三人三様のやり方で私を元気づけてくれたことを何度も噛み締めながら、術後に私を襲った尿漏れによる気分の落ち込みを乗り越えました。息子が焼いてくれたパウンドケーキ・次女が送ってくれた黄色いブーケ・長女から届いた孫娘のカラオケに続く大学一年生の孫のダンスコンペティションの動画。

孫が構成や衣装、小道具も全部考えたとのこと。そう言えば彼は、年末に誘ったカラオケにも行かずPCに向かって何やら考えていたっけ。ログハウスに行った時には「おじいちゃんロープない?」と聞いて、アトリエからロープを出してリュックに詰めていたっけ。

楽しいことを噛み締めて苦しみを乗り越える

幼い頃から物を創るのが大好きで、小学生になるとレゴで大きな作品を創ったり、友達と「ORIGAMI」の研究をし合ったり、高校生になると3Dプリンターで母親が頼んだ台所用品を作ったりしていました。

幼い頃からリズム感が良く、音楽が聞こえるとすぐに腰をふりふり踊り出していました。なかなかのエンタテーナーでもあり、妹の誕生日には妹の友達を前に手品やパントマイムをしたりもしていました。

生まれ育ったボストンから東京に引越して来るとすぐに新しい環境に馴染み、得意なことを活かして生き生きと活動する様子は、私を喜びで満たしてくれました。

全ての根源は7年前の「脳出血」

半年以上にわたる結石との戦いが終わりました。今回の経験から分かったことは、結石ができやすいのは「脳出血」後遺症の右半身麻痺で動きが少ないことが一因、手術後のひどい尿漏れも「脳出血」でやられた自律神経麻痺に起因していること。

老いと共に増して行くであろう右半身麻痺のしんどさを受け入れながら、美しいこと・楽しいこと・幸せなこと見つけ名人へと「老いの成長」の方向性が見えてきました。

全ての根源は7年前の「脳出血」
自室ベランダから臨む朝日

■もっと知りたい■

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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