枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.262023年10月04日
「老い」を実感―慌てず騒がず受け止めて―
「急性腎盂腎炎」完治。次なる治療は結石の粉砕
救急搬送から一般病棟に移るまでには5日間もかかったけれど、一般病棟に移ってからの回復振りは目覚ましく、移ってから1週間で退院することができました。でもこれで終わりではありません。待っているのは体外衝撃波による結石の粉砕です。
一般病棟での入院生活で思ったこと その1
「個室にしますか? 部屋代のかからない大部屋にしますか?」ICUから移る時に尋ねられました。「大部屋で結構です。もし窓側の部屋が空いていたらそちらでお願いします」そんな会話の後入ったのは2人部屋の通路側の部屋。
窓側の部屋には手術を済ませた方が夜に入って来られる予定とのこと。けれども2日経っても誰も入って来ないので看護師さんが隣との仕切りのカーテンを開けてくれて、ラッキーにも窓の外も眺められる実質広い個室。
厳しい面会制限を補うためか、スマートフォンは自由に使って良いとのこと。とは言え、点滴につながれた身ではスマートフォンの操作もままなりません。
抗生剤の効果で「急性腎盂腎炎」はどんどん良くなり、蓄尿バッグに溜まった尿の色も薄くなってきました。反面、抗生剤の点滴の副作用も日を追うにつれ大きくなり、1時間毎のお腹の下し、鼻腔や口腔いっぱいの発疹、唇の腫れetc.悲惨な状態でした。
不思議なことに、そんな状態にもかかわらず何を食べてもおいしく感じるようになってきたのです。ICUにいる間、食べようとすると吐き気に襲われたり少し食べられたとしても砂を噛むような味気なさだったのに、一般病棟に来てからは毎回完食。
私は思いました。快方に向かう時は食べたくなるように人間の体って上手くできているなあと。
一般病棟での入院生活で思ったこと その2
私は元々採血さえし難い程血管が細いのですが、看護師さん達は、気分転換や家族との連絡のために何とかスマートフォンが使いやすい位置を見定め、慎重に点滴の針を刺してくれました。
ところがある夜、当直の看護師さんが車椅子でトイレへ連れて行ってくれたとき、点滴の管を無造作に点滴スタンドに掛けていたため、私が手を洗おうと腕を伸ばした途端、針がぐっと深く刺さってしまい点滴がもれるようになってしまったのです。
何日間も続く点滴で血管が弱り切っていたのでもう点滴を刺せるところがなくなってしまいました。幸い食べられるようになっていたので栄養や水分の点滴は終わり、残るは抗生剤の点滴だけになっていました。
当直の先生は点滴から錠剤の抗生剤に切り替え、蓄尿バッグも外してくれました。私は、患者の立場に立って丁寧に声かけしたり処置をしたりできる看護師さんとそうではない人がいるのだなあと思いました。
その事は、食事の時にも強く感じました。私が右半身麻痺の障害者であることは共有されているはずなのに、食事を運んでただ置いて行く人、「お箸は割れますか?」「ストローは差しておきましょうか?」「起き上がるお手伝いをした方が良いですか?」と声かけしてくれる人。
私は思いました。どんな仕事でも、普段の関わり合いでも、大切なのは思いやる心・心配りだなあと。
9月1日、完治に向けてスタートを切る
入院生活で、右半身麻痺の体の動きは益々悪くなってしまいました。終の棲家で生活部のスタッフや夫に車椅子を押してもらっての生活がしばらく続きました。
退院から1週間後、主治医の診察を受けに行きました。「腎盂腎炎は綺麗に治っています。白血球も血小板も元の数値に。9月1日に体外衝撃波で結石を砕く治療を始めましょう」
水をたくさん飲んで、砂のような粒となった結石が尿と共に排出されれば、完治。私は期待に心弾ませたのでした。
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