障害者になって初めての飛行機でのアメリカ行き(5)

ボストンでの思い出を噛み締めて帰途に就く

公開日:2023.08.28

不自由さを押してでも行ったかいがあったと、ニューヨークでの5日間を終え、ボストンに戻った私たち。最後となるボストンでも、懐かしい場所を訪ねて思い出を噛み締めた上に、3つのオマケの体験をして3週間のアメリカ滞在を終えました。

思い出をいっぱい詰め込んでNYCとお別れ

ハーレムで本場のゴスペルに加え、もう1つ感動的な出来事がありました。孫が、合唱隊と共に歌ったのです。曲は「天使にラブ・ソングを2」でおなじみの“Oh Happy Day”。

堂々とした180cm越えの孫の姿。合唱隊に引けを取らないボリュームの低音。私は思わず大きな拍手をして、“Nice!  Nice!  Nice!”と叫んでいました。

思い出をいっぱい詰め込んでNYCとお別れ

文字通り“Happy Day”な気分で、ウーバーを呼び、コンドミニアムまで帰りました。日本語学校組も帰宅したので1階ロビーで記念写真を撮ると、次女の運転でボストンへと向かいました。

思い出をいっぱい詰め込んでNYCとお別れ

私たちに5日間提供してくれた主寝室から眺めた大都会の朝焼けを、再び見る日は来るのでしょうか。

ボストンでもオマケの3つの体験

ボストンでもオマケの3つの体験

1つ目のオマケ。13歳で身長も170cmになった孫娘のお稽古事の見学。それはフィギュアスケート。フィギュアスケートの練習場に入るのは初めてでした。たくさんの子ども達がそれぞれの先生について指導を受けています。

次々に曲がかかり、自分の曲の時はゼッケンを付けて優先的に場所を空けてもらって滑ります。終わったら先生の元へ行き評価を受けます。本格的なシステムで、まるで大会会場に迷い込んだ気分。

2つ目のオマケは、孫娘のヒップホップダンスの発表会。音響や照明が本格的で引き込まれました。これまでもビデオ画像を送ってくれてはいたのですが、やっぱり生は違います。思っていた以上にレベルが高く見応えがありました。

オマケその3。ボストンの市街地にあるSon in lawの職場見学。「まるで遊び場のよう」「月に1度家族もレストランで食事ができる」と聞いてはいたけれど、全く想像できませんでした。

行ってみると……なるほど! カラフルな映像が映し出された階段状の部屋・こもれるベッドの個室・ビリヤードが置かれた部屋・マッサージチェアーが並んだ部屋・画家や音楽家・フィギュアスケーター・俳優などの写真が壁いっぱいに飾られた部屋等々。これらの部屋に自由に入り、構想を練ったり、インスピレーションが湧くのを待ったりするのだそうです。

次はレストラン。想像していたのとは全く違ってその広いこと。迷子になってしまいそうです。メキシカン・インディアン・ジャパニーズ・フレンチ・イタリアンetc.ありとあらゆる国の料理が各ブースで作られ提供されています。デザートやフルーツ・スナックのブースもあり、好きな材料を組み合わせてスムージーも作ってもらえます。

そこには、小さな市や町で公務員として働いてきた私には想像できない世界が広がっていました。日本でも、都会の職場はこんなふうでしょうか? だと良いのだけれど……。

ボストンお気に入りの店巡り

ボストンお気に入りの店巡り
ニューバランスのファクトリーショップ日本の半額で買えるのでボストンへ行く度に訪れた・オーガニック専門のホールフーズ世界各国の上質の食材が揃っている・娘宅から唯一歩いて行けるトレーダージョーここのショッピングバッグは旅行本のお土産に載っている

いよいよボストンともお別れする日が近づいてきました。孫は学校とお稽古事に、娘とSon in lawは日本への引越しに備えて家具の処分や家を売る準備に追われている中、私たちは車を1台借りて懐かしい店を巡りながら、初めて訪れた時の驚きを思い出していました。

夫が右側通行の運転にもすぐに慣れること、私が買い物するには困らない程度の英語は分かることから、二人で安心して出掛けることができました。

ボストンお気に入りの店巡り
アメリカでの外食はとんでもなく高いけれど最後の夜はイタリアンレストランでワインを開けて、近々の日本での再会を約す

空港までSon in lawに送ってもらいました。9年前は、日本の航空会社にもかかわらず日本人スタッフはおらず、チェックインも全部Son in lawにしてもらったけれど、今回はすぐに日本人スタッフが対応してくれ自分たちでチェックインできました。

ボストンお気に入りの店巡り
成田でのお出迎えは偶然にも行きに出会ったスリランカの青年、最終便で伊丹着

■もっと知りたい■

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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