「老い」を実感―慌てず騒がず受け止めて―

乗り越えるまでもう一息―みんなの助けを借りながら―

公開日:2023.11.08

2023年7月31日の救急搬送から2か月半。救急搬送の原因だった「腎盂腎炎」はすっかり治ったもののその大本の左腎臓に居座る「結石」との戦いが延々と続きストレスも限界。40年来の友人と息子に応援を求めました。~猛暑日も 最早これまで 彼岸花~

乗り越えるまでもう一息―みんなの助けを借りながら―
季節はさらに進み、ヨシ林から真っ赤な彼岸花は姿を消して、優しい色の桜蓼が真っ盛りです

「結石」が割れて、晴れやかな気持ちに

割れました!!」と笑顔で主治医の先生に告げられて終わった2回目の「体外衝撃波砕石術」の治療。「2個の内、下側にある石が割れました」とのこと。治療直後に入った病院のトイレでびっくり!! そこには「血尿」のイメージとはほど遠い「便器いっぱいの鮮血」が。

驚くと同時に、確かに割れたのだと実感を得てうれしくもなりました。私は血小板も多く出血はすぐに止まる体質。あんなに大量の出血だったのに2時間後にはもう止まりました。「この治療は血液をサラサラにする薬を飲んでいる人はできません」と治療前の説明書に書かれていた訳に納得です。

娘達にLINEでその事を知らせると、「良かったですね! 1つ割れたなら残りもうまくいきそう。体への負担が少なく治療できそうで、ホッとしますね(*^_^*)」と次女。「便器いっぱいの鮮血を見てうれしい♪ なんて(恐~)」続けて「繰り返すことで効果があるなら、次も期待大です☆☆」と長女。

急に食欲が出て、治療が始まって以来食べる気がしなかった豚カツが食べたくなり、買って帰って赤飯と共に1枚丸ごと完食しました。

石は割れたけれど―排出されてなかった(>_<)―

月は変わり10月5日、治療後の診察に行きました。診察前には必ずレントゲンを撮ります。治療前の画像と見比べて成果を確かめ、今後の方針を立てるためです。この時の結果は想像し得た中で最良のものでした。

治療直後は1つしか割れていなかった結石が2つとも割れていたのです。ただし、未だ細かくは砕けておらずステントの中に引っ掛かっているそう。道理で、イメージしていた砂のようなものが出て来なかった訳です。

今後の選択肢は2つ。ア)ゆっくりとは出てくるのでそのまま自然に出てくるのを待つ。イ)もう一度「体外衝撃波砕石術」を受けてさらに細かく砕く。この治療法は、私にとっては衝撃が小さかったので、迷わずイ)を選びました。

先生は、「早く終わらせたいですよねえ」と仰って下さり6日後に3回目の「体外衝撃波砕石術」の治療をすることになりました。

6日後の10月11日いつものようにベッドに上がると、「尖ってステントに引っ掛かっているのをまず砕きましょうね」と先生が仰ったかと思うと、いつもより長い時間「カン・カン・カン」と言う音が鳴り響きました。

石は割れたけれど―排出されてなかった(>_<)―

救急搬送から2ヶ月半―ストレスも限界に
*尿管ステント イメージ

良い方向に進んでいるとは言え、2か月半はさすがに長い。入院以来尿道にステントを留置しているせいか尿意がコントロールし難く、1時間も経たない内にトイレに行ったり、それでも時には失敗してしまったり……。大きなストレスです。

「体外衝撃波砕石術」の治療が始まってからは、「砕けた砂のような物が出ているか?」と便器をのぞき込む毎日。ストレスも限界です。

そんな時、ありがたいのは友人&家族。40年来の友人に電話して「元気が出ないんです。遊びに来てくださ~い」。自宅に住む息子にも電話して「お友達が拾ってきてくれた見事な栗で渋皮煮をたくさん作ったから食べに来ない?」

救急搬送から2ヶ月半―ストレスも限界に

2人とも二つ返事でOK。いつもの2人だけでなく、4人で季節の物を食べたり、深まる秋を感じつつドライブしたり―想像するだけで元気が出てきました。

さらに元気が出ることが。3日ぐらい前から、便器に砂のような物が溜まるようになったのです。

救急搬送から2ヶ月半―ストレスも限界に
*イメージ 想像していたのは小さな砂粒 実際はこのイメージ写真通りの泥状のもの

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救急搬送から2か月半―ストレスも限界に

harumati

45歳~66歳までC型肝炎と共生。2016年奇蹟とも思える完治から、今度は脳出血に襲われ右半身麻痺の大きな後遺症が残り身体障害者に。同居する息子と夫に家事を任せての暮らしにピリオドを打ち、2021年11月「介護付き有料老人ホーム」に夫と入居。「小さな暮らし」で「豊かな生活」を創り出そうと模索中です。

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