8年間、母を介護した脳科学者・恩蔵絢子さん#3

認知症の母から学んだ、治療以外にできること「無駄に見える言葉や遊びこそ大事に」

認知症の母から学んだ、治療以外にできること「無駄に見える言葉や遊びこそ大事に」

更新日:2026年03月05日

公開日:2025年02月17日

認知症の母から学んだ、治療以外にできること「無駄に見える言葉や遊びこそ大事に」

2023年5月、8年間介護してきた母・恵子さんを亡くした脳科学者の恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)さん。娘としてだけでなく研究者としても認知症とその人らしさに向き合ってきました。最終回は、治療以外に周囲の人ができることについて伺いました。

恩蔵絢子さんのプロフィール

撮影=中川まり子

おんぞう・あやこ
1979(昭和54)年神奈川県生まれ。脳科学者。2007年東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。22年5月現在、金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学で非常勤講師を務める。専門は自意識と感情。母親が認知症になったことをきっかけに、生活の中で見られる症状を記録し脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社刊)を18年に出版。近著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規出版刊)など。

私の変顔に変顔を返してくれる母

アルツハイマー病の進行を抑制する薬「レカネマブ」が2023年9月に承認され、12月には保険が適用になりました。アミロイドβの除去に効果がある薬ができたことは、とてもうれしいことですが、高額で、心配な副作用もあると言われており、私としてはまだ楽観的になることはできないでいます。

脳科学者でもある私の立場からは、治療については専門家に任せて、身近な人が認知症と診断されたときに、まわりの人はどのようにそれを受け入れ、何ができるのかということを、これからもお話ししていきたいと思います。

私自身、母の介護で、自分のための時間がどんどんなくなっていき、行き詰まりを感じていたとき、ケアマネジャーさんの言葉で「ハッ」としたことがありました。

「最近、必要以外の言葉を使っていますか」と言われたのです。確かに、母が生きていくための衣食住に必要な言葉しか使っていませんでした。「これ着て」「これ履いて」「これ食べて」「何か食べなきゃ痩せちゃうし死んじゃうよ」といった感じです。母の身に立てば、常に何かお願いされ、人に指示されている状態で、それはとても苦しいことだと思います。

私の口から出る言葉は、せかすように、あれして、これしてということばかり。そのお願いにパッと応えてくれないことで母をすごく駄目な人に感じてしまうような状態に私もなってしまっていました。全く余裕がなくなっていたのです。

Ideya / PIXTA

それでケアマネジャーさんに「必要以外の言葉ってどういう言葉ですか」と尋ねました。

すると食卓の上にある花を指して「恵子さん、お花きれいですね」と。すぐに母も「きれいだよ」と返したので驚きました。「この服着て」などとお願いしても無反応で、全然動けなくなっていたときでしたから。さらにケアマネさんがわざと「この色ってピンクでしたっけ」ととぼけると「何言ってるの。当たり前じゃない」と、母がこちら側に教えてくるような振る舞いまで見せたのです。

母は色もわかるし、きれいな世界も見えている、いろいろなことを感じて生きているんだなと気付けました。やさしい方や真面目な方はついつい完璧に介護をしようとして、生きるために必要なことに集中しがちですが、無駄な遊びや無駄な言葉こそが大事なのだと大発見した気持ちになりました。

我が家では、意味もなく「変顔」をしてみることにもしました。すると、母が倍ぐらいの変顔(笑)を返してくるのです。一緒に笑いたいとか、私を楽しませたい気持ちが母にもあるのだなとすごく感じられました。

言葉以外のつながりに気づき、明るくなれた

母が好きな音楽も取り入れました。例えば母が昔から使っていたピアノを知り合いの音楽家に弾いていただくと、普段の会話が難しくなっているのに、昔ながらの発声で歌詞を完璧に歌うのです。集中しているのと同時に、すごく気持ちよさそうに。母の中には音楽のレパートリーもこんなに残っているということにも気付けました。

私も一緒に歌ったりダンスしたり、ほんの5分でも「遊び」の時間を取って、その後に「じゃママ着替えようか」と促すと「そうだね」と着替えてくれることもありました。必要なお願いや指示の言葉だけではなく、「遊び」の時間こそが心をつなげるのです。

脳科学では、何かをまねる力は赤ちゃんのときから備わっていることがわかっています。

PanKR / PIXTA

例えば出産直後にお母さんが赤ちゃんに向かって舌をべーっと出すと、赤ちゃんも舌をべーっと出します。赤ちゃんの初期から持っているまねる能力は認知症になってからも消えにくいのです。「食べて」という言葉では伝わらなくても、母の目の前で私が食べると母も食べてくれたりなど、言葉以外のつながりに気付けると、家庭の中がとても明るくなってきました。

認知症で現れると言われている症状は多くの人のデータの平均です。みんなに当てはまることだけが抽出されると、その人だけの個性は消えてしまいます。

例えば好奇心が下がるという症状は確かに母にも現れましたが、音楽が好きとか、顔まねで素敵な笑顔で笑うとか、残されている母らしさは科学では示せません。多くの認知症の方にもその方だけの個性が必ずあります。認知症を受け入れ、その人らしく暮らしてもらうために、平均以外の部分に気付いてあげられるといいと思います。

母が認知症にならなかったら、脳を研究していながら、私はこのことに気付けなかったかもしれないと思います。

母が恋しくて恋しくて、会いたい

母が亡くなって5月で1年になります。今でも母が恋しくて恋しくて、会いたいという気持ちでいっぱいです。今年は母がいない初めてのお正月でした。去年の1月4日に母が倒れて入院、それから3か月会えなくなり、4月に有料老人ホームに移って、5月に亡くなりました。去年の今頃は本当に厳しい時期だったと思い出されます。

この8年間ほど、母と深く過ごせた時間はありませんでした。それまでは母は空気のようにそばにいるのが当たり前で、私自身は自分の夢や目標に精いっぱいで、それを応援し支えてくれているのも当然のように思っていて、母の人柄について考えることなどなかったと思います。

認知症になってから、深く母に向き合ってきて、いろいろなことがわかってきて、それからの母の印象が強く残っていますが、今は若いときの母はどんな人だったかなと思い返している毎日です。私はやっぱり母のことが大好きなのだなって。

zon / PIXTA

よく思い出すのは小学校3年生か4年生の頃、私が鍵を忘れて部屋に入れなかったときのことです。母が仕事から帰ってくる通り道を予想して、必ず通る場所まで迎えに行ったり、部屋まで戻ったりを繰り返して、夜10時くらいまで一人外で待っていました。

すっかり日も暮れて真っ暗の中、予想していた場所で母のシルエットが見えたとき、「やっぱりここで会えた!」と私はとても誇らしい気持ちでした。ところが母は私に気付くなり、泣き出して自分を責めたんです。母は何も悪くないのに。

なぜ母が泣いているのか、子どものときにはわからなかったけれど、そんな私を大事に思ってくれていたエピソードを思い出し、振り返る毎日です。

この8年間は母を深く知る大切な旅路でした

今は父と二人暮らしになりましたが、まだこの生活には慣れなくて、私自身もとまどっています。これまでは母が中心の生活で、父と同じ方向を向いていましたが、これからは二人で向かい合って、新しい関係を結んでいこうとしているところです(笑)

認知症と診断された母と私たち家族の8年間は、認知症を受け入れてできることを考えていくことで、とてもよい旅路になったと思います。そして、能力や条件ではないその人らしさ、その人の本質という部分に目を向けられるようにもなりました。

その人らしさは科学で説明は難しく、認知症になってもその人らしさは失われません。今、同じ立場にある方たちに少しでもお役に立てれば幸いです。

取材・文=原田浩二(ハルメク編集部)

※この記事は、雑誌「ハルメク」2024年2月号を再編集しています。

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みんなのコメント
  1. 私の姉が3年前に若年性アルツハイマーと診断されました。 色々な病院、検査(アミロイドβタンパク質など)をかなりの日数をかけての結果でした。 お医者さまが言うには、その時点でもう初期ではなくレマネカブも使えないという感じでした。 今はメマンチンというお薬で経過を見ることしか出来ません。 2歳違いの姉がだんだんと症状が進んで行くのを見ながらの介護は本当につらくて悲しくて、夜になって一人で泣いてしまう事もあります。 それでも姉が落ち込まず元気な姿を見せているのは、姉も頑張っているんだと思って‥ 私も頑張っています。 この先、どうなって行くのか‥ 考えると悲しくなるので今を頑張ります。