枝元なほみさん 病気を受け入れて見つけた新たな使命
2024.11.26アオギリ、どうしたの?
7月(2024年)の下旬に入ったころ、アオギリの容態が公表されました。葉の色が薄く茶色っぽい、形が小ぶりになったとのこと。一大事です。
アオギリはもともと爆心地から1.3km離れた広島逓信局(現在の中国郵政局)の中庭で被爆しました。
4本あったアオギリのうち1本は熱線で倒れ、残る3本が広島平和記念公園に移植されたのは1973(昭和48)年のことです。
移植後、1本は枯れてしまい、樹齢100余年の2本と被爆二世のアオギリが資料館の北側で「被爆してもなお……」と、健在ぶりを披露していたのです。
すぐ隣に建てられた「G7広島サミット記念館」の外壁への陽射しの反射がアオギリの生育に影響を及ばしたかもしれないということで、対策の一つとして記念館の外壁や屋根に遮光ネットがかけられました。
「被爆の広島は75年間草木も生えぬ」と言われていたのですが、その翌春、アオギリは満身創痍の身で新芽を芽吹かせ、被爆と敗戦に打ちひしがれた人々に勇気と希望を与えました。
私も、ガイドをするとき、よくこのアオギリの話をして締めます。
あるいは、夾竹桃の写真を見せて、翌年の夏赤く咲いた花が戦禍に疲れ切った人々に勇気を与えたことを話して締めることもあります。
暑い、熱い「広島平和記念公園」
修学旅行や観光旅行シーズンが一段落した7月、ガイドは閑散期に入りました。
閑散期に入った、といっても、G7広島会議(2023年6月)前と比べると雲泥の差の感があります。やっぱり人が多いのです。
7月のガイドは1人1回というお達しでしたので、私は山陰地方の小学生を担当しました。
修学旅行生のガイド時間は大抵1時間です。平和学習の後はマツダスタジアムでカープの試合を観る予定、と元気いっぱいの子どもたちでした。ヒロシマの悲劇を学び、野球観戦で今の平和を実感してほしいものです。
沼田鈴子さん(1923~2011)のこと
沼田さんは、22歳で被爆して左足を失い、さらに婚約者を戦地に失いました。絶望の日が続いたようで、自死ばかり考えていたそうです。
ところが焼け焦げた幹から新芽を芽吹かせているアオギリを目にし、生きる力をもらったといいます。そして、広島平和記念公園に移植されたアオギリの傍で、修学旅行生たちに「反核・平和」訴える活動を「アオギリの語り部」として始めたのです。
私は新聞紙上やTVでしか晩年の沼田さんを知りませんが、自らのことを「オバちゃん」と呼び、たくさんの修学旅行生に被爆体験を語り、ガイド仲間から尊敬された名物「オバちゃん」だったそうです。
がんばれ、アオギリ。アオギリの回復を祈ります。
■もっと知りたい■
とし古さん、広島の深い歴史を見てきた「アオギリ」にまつわるお話、いつも感動と尊敬です。 以前もコメント欄に書きましたが、いつの日か渡来夢さんとそろってガイドをお願いしますね。翠