高齢者施設でのコンサートを紹介
2024.12.042024年07月05日
八十路の挑戦(4)
ガイドは楽しい?
暑い夏の到来です。広島平和記念公園も暑いですが、相変わらず人がいっぱい。先日ガイドを担当した中学生に、先生が塩飴をくばっていました。
平和学習をする小中学生
広島記念公園を修学旅行で訪れる中学校は、北陸や首都圏の以西の地域が多いように感じます。交通手段・費用・日程が関係しているようです。そして、宮島あるいは大阪、京都を組み合わせるパターンが主流。
小学生の場合は日程が短いので、関西より以西の学校から来てくれているようです。
2023年9月に広島観光ガイドを志し、6回の研修後に修了証書を。さらに12回の実践研修を経て、薫風香る5月に中学生、6月は小学生を担当しました。
6回子どもたちと広島記念公園を歩きましたが、回を重ねるにつれ、私自身の緊張感もほぐれていくようでした。私から子どもたちに問いかけると、手をあげて元気に答えてくれます。
当時の広島市では、疎開先から帰ってみると親が被爆死していて、浮浪児になってしまった小学生が6000〜8000人いたらしいのですが、正確な数字は不明のようです。同じ年頃の今の小学生に「浮浪児」という言葉は通じません。「ホームレス」と言い換えました。
中学生には、「動員学徒」として市内の8200人以上の中学生が従事した「建物疎開」について、絵を使って説明します。この「建物疎開」のさなかに約6300人が犠牲となったのです。
私の今後のガイドプランは、夏休みの高校生や大学生、家族連れなど大人の人たちが対象です。子どもたちとは同じようにできないので、やはり緊張します。
『ヒロシマ・ノート』(大江健三郎著)を読みました
ノーベル賞作家のノンフィクションストーリーで、ヒロシマのリポートです。表題からして、なんか難しそう、重いテーマを論じている、という気がして、長年読むのをスルーしてきました。
G7サミットを機に原爆資料館の展示物をリニューアルされたので、昨夏(2023年)何度目かの見学をしました。数々の写真や遺品、模型に混じって、絵も展示されていました。
画家の絵ではなく素人の絵です。決して上手ではないそれらの絵は(上手な絵ももちろんあります)、妙にリアルで、賞を取るようなすごい報道写真よりも強いインパクトを受けました。
そんな記憶がまだ新しいうちに、と思い、平和記念公園でガイドを始めたのを機に『ヒロシマ・ノート』を読みました。
「二十世紀における、もっとも過酷な人間の運命を体験しなければならなかった」「白血球の数におびえその過酷な運命を、生きつづけている」と、著者は被爆者に思いを重ねます。「長期にわたって耐えねばならぬ、確実な、原爆後遺症」「人類にとって初めておとずれた大災厄」という言葉も続きます。
資料館に展示されている数々の絵や写真そして品々は、これらの言葉が決して大袈裟でないことを物語っています。
■もっと知りたい■
とし古さんに案内された方々は、とし古さんのお人柄に触れることで、より勉強になった事でしょう。興味を持つ・持たない、する・しない、いろいろ考え方があるでしょうが、とし古さんのプラス思考は、皆さんに影響を与えたのではないでしょうか。遠くから、応援しています。そして、必ずとし古さんにガイドをお願いしたいと考えております。・渡来夢
とし古さん、実際に行動している姿に頭が下がります。偉大なことを実行されていると、ご本人は思っていないのでしょうが・・・、すばらしい日本と広島のことを世界に伝える伝道師です。その働きは、きっと広島の地で亡くなった方々は、天国から拍手を送っていると思います。暑い中、お体をいたわりながら伝え続けてください。そしていつの日か,渡来夢さんと広島をガイドしていただくのが夢になっています。翠
渡来夢さん、翠さん、いつもありがとうございます。でも買いかぶりすぎです。力を入れすぎて空回り、そして言い忘れ、と反省しきりで、極々稀にほっとして満足感を味わう、といった具合なのです。新米ガイド、人生最後のチャレンジを悪戦苦闘しながらやっています。お二人をしっかりガイドできるよう、精進します! とし古