今月のおすすめエッセー「庭づくり」富山芳子さん
2024.12.312022年02月03日
通信制 青木奈緖さんのエッセー講座第3期第3回
エッセー作品「ぬいぐるみの関係」相部草子さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。相部草子さんの作品「ぬいぐるみの関係」と青木さんの講評です。
ぬいぐるみの関係
今日はひとり娘の20歳の誕生日だ。なかなか起きて来なかったが昼近く、ちょうど生まれた時刻に部屋から出てきた。
娘は私たちのことを外では「お父さん、お母さん」と呼んでくれるが、家の中ではお父さんと言わずに名前で呼ぶことも多い。
呼び捨てもあれば、「くん」や「ちゃん」をつけることもある。夫は大して気にならないようで、ひとむかし前には考えられないような父と娘のやりとりをしている。
私のことは「りす」と呼ぶ。こうなると時代が変わったというよりは、わが家がちょっと変わっているだけなのかもしれない。
なぜ「りす」と呼ばれるようになったのか覚えていない。
ちょこまかと動き回ってやりかけの家事を忘れてしまうからだろうか。認めたくないが、前歯が大きめだからだろうか。それともやっぱり娘の身長が10センチ近く私より高いからだろうか。よくわからない。
大きくなっても娘はよく抱きついてくる。呼ばれ方といい、ひょっとして私は「ぬいぐるみ」かもしれないぞと思う。
娘は物心ついたときから、つぶらな瞳のぬいぐるみが好きで、いろいろな動物たちが今も衣装ケースいっぱいに入っている。
私は彼らに子育てをたくさん助けてもらった。朝はカピバラを手に娘を起こし、嫌いな食べ物はアザラシと一緒に挑戦してもらい、夜は布団でぬいぐるみたち総出演の創作劇。毎晩、早く続きが聞きたいと娘に呼ばれると片付けも掃除も早々に切り上げてしまうのだから、私の母とは大違いだ。
私が思い出す母は、台所に立っている後ろ姿だ。
お母さんの領分を邪魔してはいけないという凜とした母と子の距離感みたいなものが母と私の間にはあったが、私と娘にはなくて、生まれた時から娘はいつも横にいる、子どもとぬいぐるみの関係に似ているのかもしれない。
仲間と一緒に私も衣装ケースの中に入っているような気がしてきた。
お寝坊さんのためにスープを温めてテーブルに運んでおいたが、娘はなかなか食べないでいた。
「お父さん、ちょっとこっちきて」と、ソファに座っている夫を私の横にひっぱって来て並ばせた。
「ありがとうございます。」一瞬のことだったが、手をついてペコっとお辞儀をした。予想もしていなかったので驚く。
「おめでとう」と返すと、娘が私の膝に突っ伏してきた。
「ありがとうって言ってくれてありがとう」とか「元気に育ってくれてありがとう」と言いながら、しばらく夫と2人で娘の頭や背をとんとんした。何だかほのぼのと自分たちは家族なのだなと思う。
「さっ、スープが温かいうちに食べて」
大好きなアーティストのライブに行くので、あと1時間ぐらいで食べて準備までしなければならないのだ。
ところが一向に起き上がらない。すると、娘の顔がのっている私の腿がじわっと温かくなった。
起き上がった顔を窺うと、目が潤んでいる。何か言い出そうとするとポロッと涙がこぼれたので、慌ててティッシュを渡しながら急に心配になってきた。友だちとケンカでもした?
私の手を握ったまま黙っている。
ちょっと気分を落ち着かせようと思い、両手を左右にぶんぶん振って「せっせっせーのよいよいよい、みかんの花が〜」となつかしい曲を歌ってみた。
娘もノリを合わせて歌って思わず笑う。
「言葉がみつからない。」
「うれしい?」と聞くと頷いたので、内心ほっと息をはく。
「20年間こういう風に育ててくれてありがとう。」
こういう風で本当によかったのか、りす母さんの世界は小さすぎてわからない。でも胸がわぁっと熱くなった。
「ありがとう。これからもよろしくね。」と返事をすると、20歳になった我が子は頷いてまた私の膝の上につっぷしたが、今度はすぐに起き上がり、「お腹空いた。」とスプーンを手に取った。
食べながら友だちから届いたメッセージやライブの話をするのをうんうんと聞いていた。お友達ってありがたいなと思いながら。
しばらくしてからトイレに入った。ひとりになると、やっぱりうれしさが込み上げてきて泣いてしまったことは、まだ秘密にしている。
青木奈緖さんからひとこと
総じて言えることですが、幸せの記憶はいざ書こうとすると輪郭がぼやけて書きにくく、悲しかったことや悔しかったことの方が身にしみている分、書きやすいものです。
でも、難しいからこそ、幸せがうまく表現できたときは達成感もひとしおでしょう。
書く際に注意すべきことは、常にも増して読者の視線に敏感になることです。あまりに手放しの幸福は読者の反感を買います。そのあたりの加減が難しいのですが、この作品では、著者がご自身をやや自嘲気味にユーモラスに捉え、さらに厳しかったお母様との比較を加えることで、上手にまとめています。
日常生活の中で改まって感謝の言葉を口にするのは難しく、そのあたりの戸惑いや、思いがこみあげて涙がこぼれてしまうというところなど、とてもよく描けています。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。講座の受講期間は半年間。
現在第4期の参加者を募集中です。申込締切は2022年2月7日(月)まで。詳しくは雑誌「ハルメク」2月号の誌上とハルメク旅と講座サイトをご覧ください。
■エッセー作品一覧■
- 青木奈緖さんが選んだ4つのエッセー第2期#6
- 青木奈緖さんが選んだ3つのエッセー第3期#1
- 青木奈緖さんが選んだ3つのエッセー第3期#2
- エッセー作品「ぬいぐるみの関係」相部草子さん
- エッセー作品「赤い半額シール」加藤菜穂子さん
- エッセー作品「ゆるやかなお別れ」熊谷智恵子さん
- エッセー作品「チビ」浜三那子さん