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- エッセー作品「一滴の水になっても」浅野智予さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。浅野智予さんの作品「一滴(ひとしずく)の水になっても」と青木さんの講評です。
一滴の水になっても
父は頑固である。私もその父の子らしく片意地で、その上天の邪鬼だ。
今日も夫と二上山(にじょうざん)に登っているが、夫が真っすぐ行くと言うと左に逸れた少し険しい道を選びたくなる。「上のベンチで待っていてあげるから」と上から目線で言い放つ。昨年、肺炎で入院した夫は、怪訝そうな顔で真っすぐ登っていった。私は左、六鹿寺(ろくやじ)と書かれた矢印に従って、細い丸木を組み合わせた山道の階段を一人で登った。1300年前に開かれたという寺跡、唯一残っている石塔に手を合わせるとその上の道を目ざす。息を切らして登りきると、もう苦しくて自分のことしか考えられない。すべりそうになるのを堪えながら回りに生えている雑草や枝をやたら引っぱる。無事登ると見晴らしのよい岩場までたどり着く。
「ここは、河内の大蛇嵓(だいじゃぐら)」と父は勝手に呼んでいた。風が吹き抜ける広い見晴らし。PLの塔、遠くにあべのハルカスまで見える。
日本一高いビルと名が付いた時、父をさそって展望台に上った。若い頃、ハルカスの前身である近鉄百貨店で商業文字を書いていた父は、上るとすぐ、金剛山や遠くは富士山まで同僚と登り楽しかったことを話した。けれど、その時小学生だった私には、朝早く帰った父が顔中血だらけでびっくりした印象の方が強く、富士山の砂走りで転んだと言った父の顔を母が風呂場で洗っていたことの方が思い出される。
さて、約束のベンチには夫が先に腰かけていた。私は少し手前で立ちどまり、緑の影に目をやった。
脳裏に浮かぶのは、中学生の私に父が見せてくれた古びた詩集の緑のすすけた表紙。そして、それを開いて読む父の声が心の内に聞こえる気がする。詩の全文は、ほとんどおぼえていないが、最後に、「もし、セメントで行く手をさえぎられたら、ぼくはセメントから染み出す一滴の水になり空に逃げるだろう。そして雨を降らせ、やがて大きな川となって海にそそぐのだ。」その生命力溢れる言葉に胸が熱くなり、はだか電球の中ちらちらと揺れる父の影をぼんやり見ていた。そんな事を思い出していると、父の影が山の緑と重なっていつまでも揺れている気がする。
「おっ、やっと来たか」と夫が振返る。「やあ、お待たせ」と何くわぬ顔で手を振ると青空がまぶしく目に飛びこんできた。
※二上山……ふたかみやまとも呼ばれ、奈良県と大阪府にまたがる山。万葉集にも歌われる。
※PLの塔……PL教団建設による人さし指を天につきたてたような形の白い塔。
※ハルカス……近鉄百貨店本店
青木奈緖さんからひとこと
山道をたどりながら、心の内で父を思い、父親似の自分を見つめています。この方にとってお父様は、大きく包んでくださる大空のような存在なのでしょう。頂上で先に着いたご主人が待っていてくださる場面も素敵です。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1回家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。第1期が2020年9月にスタート。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2021年1月12日(火)に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
■エッセー作品一覧■
- 青木奈緖さんが選んだ5つのエッセー#2
- エッセー作品「一滴の水になっても」浅野智予さん
- エッセー作品「カズコさんの夢」宇野百合子さん
- エッセー作品「今は昔のお正月」小嶋千賀子さん
- エッセー作品「ワニ革のハンドバッグ」田久保ゆかりさん
- エッセー作品「赤ちゃんは、愛のかたち ―息子の誕生―」松本宏美さん
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