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- エッセー作品「カズコさんの夢」宇野百合子さん
「家族」をテーマにしたエッセーの書き方を、エッセイストの青木奈緖さんに教わるハルメクの通信制エッセー講座。参加者の作品から青木さんが選んだエッセーをご紹介します。宇野百合子さんの作品「カズコさんの夢」と青木奈緖さんの講評です。
カズコさんの夢
カズコさんは先を行くのが好きだった。昭和30年代の始め、まだ女性ドライバーが極々少なかった頃に運転を習い始め、仮免許を取った。路上運転の練習で、殆ど車の通らない箱根の仙石原で車を走らせた。夫が手配した運転手さんを助手席に、小さな娘を後部座席に乗せて。
その日は空が遠く晴れ渡っていて、雲がのんびり浮かんでいた。娘は母のお稽古に一緒に居られるのが嬉しくて、道端のススキが波打つのも、窓から少し冷たい風が入ってくるのも、何もかもが楽しかった。カズコさんは真直ぐ前を向いて、運転手さんの言うことを聴いていたが、その肩が四角くこわばって、とても緊張していたのは、誰が見ても分かっただろう。やがて正面からトラックが土埃をあげてやってくると、「もういいわ」と、カズコさんはその日の練習をやめてしまった。その後、「私には運転は向かないわ」と言って運転免許の取得は途中終了となった。
カズコさんが生まれたの大正の半ば。関東大震災の時、3才のカズコさんはお昼にカレーライスを食べていて、スプーンを握りしめたまま、国鉄の敷地に逃げたという。開業医だった実家で、はた目にはのびのびと育った彼女は、女学校ではオシャレに夢中になったが、跡取りとして期待されていた長姉が肺病で若くして亡くなると、カズコさんは医師になることを決意した。
大森の女子医専に入り、学んでいたが、戦局が厳しくなると卒業がくり上げられ、急に実地へと放り出された。後年その頃のことを「世間の人は女子医専のことを動物園だといってね、女医になるのは珍しい動物の見世物みたいだったのよ」とよく言っていた。
カズコさんは職業婦人となるには線が細くて、それでも皮膚科医の実父の片腕として働いていた。やがて、縁を取りもつ人がいて、善さんと結婚した。善さんは精神科医で大き過ぎるほどの夢を持つ人だったし、1年余りで娘も生まれてカズコさんの夢は後回しになった。
娘が2歳になるとカズコさんは活動を再開した。美容学校へ行き、美容師免許を取った。ビューティースクールへ行きメイクアップを勉強した。クッキングスクールにも通っていて、それらはカズコさんの夢見た美容皮膚科の仕事へと繋がる筈だった。そのおかげで娘は殆ど1日を祖父母と過ごしていたのだが……。カズコさんは160㎝、39㎏という細い体で頑張っていたのだ。けれどもそれもカズコさんが小さな男の子を出産するまでのこと。昭和34年で、その夢は泡に消えてしまった。
それから12年経って、男の子が小学校6年生になると、カズコさんの活動が再開され た。まったく新しい方向へ、海外の国々へ心が向いたのだ。女子医専の時に中途半端になっていたドイツ語を再び学び始め、友人たちとほぼ毎年のように海外へ旅に出た。晩年は船旅となり、95歳になるまで、ドイツ語、ロシア語、中国語そしてシャンソン、長唄までも先生についてずっと習っていた。
細い細い体で、カズコさんは何をしようとしていたのか。何を夢みていたのか。昨年の夏99才で亡くなるまでの人生をどんな想いで過ごしたのだろうか。娘はわからないままだ。カズコさんの母である祖母が亡くなる時に、「カズコさんを守ってあげてね、頼むわね」と言いのこした。娘は役割を果たせのか、今もわからない。
青木奈緖さんからひとこと
冒頭に車の運転の場面を持ってきたことで、読者をいきいきとした作品世界に引き入れることができています。常に時代の先を行っていたお母様を思う娘の気持ちが、しっとりと回想されています。
ハルメクの通信制エッセー講座とは?
全国どこでも、自宅でエッセーの書き方を学べる通信制エッセー講座。参加者は毎月1家族の思い出をエッセーに書き、講師で随筆家の青木奈緖さんから添削やアドバイスを受けます。書いていて疑問に思ったことやお便りを作品と一緒に送り、選ばれると、青木さんが動画で回答してくれるという仕掛け。第1期が2020年9月にスタート。講座の受講期間は半年間。
次回の参加者の募集は、2021年1月12日(火)に雑誌「ハルメク」の誌上とハルメク旅と講座サイトで開始予定。募集開始のご案内は、ハルメクWEBメールマガジンでもお送りします。ご登録は、こちらから。
■エッセー作品一覧■
- 青木奈緖さんが選んだ5つのエッセー#2
- エッセー作品「一滴の水になっても」浅野智予さん
- エッセー作品「カズコさんの夢」宇野百合子さん
- エッセー作品「今は昔のお正月」小嶋千賀子さん
- エッセー作品「ワニ革のハンドバッグ」田久保ゆかりさん
- エッセー作品「赤ちゃんは、愛のかたち ―息子の誕生―」松本宏美さん
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